船は豪華に、ヘリも飛ぶ それでも絶海の青ケ島への旅路は長く険しい

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勝又ひろし
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 〈朝のこない夜はないけど、船のこない青ケ島はもうしょっちゅうである〉

 これは私が「アサヒグラフ」1984年5月4日号に書いた記事だ。記事はさらにこう続く。

 〈特殊連絡船「あおがしま丸」は、週二回、八丈島からやってくる。青ケ島には係留できる港がないのだ。波が高いと簡単に欠航してしまう。片道約三時間。50トン足らずの船はけなげにも荒波をかきわけていくのだが、五人が寝そべればもういっぱいという船室は地獄だ。吐く者が続出し、船内でバケツリレーが始まる。港に着くと、船員が窓から「生きてましたか」と声をかけてきた〉

「とりつく島がない」火山島

 当時、東京都青ケ島村愛知県富山村(現豊根村)と、人口が日本一少ない自治体として抜きつ抜かれつしていて話題となっていた。その取材で同年4月、カメラマンと2人で青ケ島を訪問したのだ。

 伊豆諸島の有人島では最南端にある青ケ島は東京の都心から約360キロ、太平洋に浮かぶ絶海の孤島だ。八丈島からもさらに約70キロ南にある。

 「とりつく島がない」という言葉はこの島のためにあると思えるほど、周囲は200メートルの断崖絶壁。かつて鬼ケ島の別名もあったほど近寄りがたくそびえる火山島だ。

 ようやくたどり着いても、当時はそこからが大変だった。届けられた物資は空中ケーブルで約200メートル上、外輪山尾根をなぞるように造られた道路に運び上げる必要があった。ケーブルができる前は牛が運んでいた。

38年ぶりに島に行って驚いたこと

 しかし今夏、38年後に再訪した青ケ島は様変わりし、かなり「優しく」なっていた。

太平洋に浮かぶ火山島・青ケ島。記事後半では、38年ぶりに記者が取材に訪れた島の様子を紹介します。

 八丈島からの連絡船は今年就…

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