現在の句会の原点に正岡子規あり 進化する句会に注目、松山で特別展

戸田拓
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 【愛媛】「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」などの句で知られる俳人・正岡子規(1867~1902)が革新したのは、俳句などの短詩型文学だけではなかった。子規が仲間たちと共に「句会」を改革したことに着目した特別企画展「子規と進化する句会―俳句革新の原動力―」が、松山市道後公園の市立子規記念博物館(子規博)で開かれている。

 子規博の過去の企画展は俳句論や創作の業績、人物像などに着目したものが中心だったが、今回は活動の背景にあった句会のあり方に焦点を当てた。「現在行われている句会の原点をつくったのは子規たちだった」と、企画した川島佳弘学芸員は話す。

 人々が集まって俳句を作る句会は、江戸時代では主に、師匠である俳諧宗匠が弟子を指導して長い連句を作る集いだった。明治時代、子規は連句の発句部分を「俳句」として独立させる運動を起こしたが、その過程で句会の形式も革新したという。

 明治の自由な気風の中、子規が唱えた俳句革新は個人の芸術性を尊重するものだった。句会も、上下関係が明確だった宗匠主導の会を改め、集まった仲間らが対等な立場で作品を批評し投票で順位を決める「互選」という手法を導入。試行錯誤しながら新しい形式の集いを確立した。展示では句会で作られた作品の浄書稿とともに、参加者が互いに「天」「地」「人」などの評価を付け合った得点表や、句の解釈をめぐるやりとりなども掲出。句会が実際にどのように進められたかを想像させる。

 句会は子規の従来の仲間だけでなく多様な人々に開放され、交流を広げる役割を果たした。夏目漱石や森鷗外が参加したこともある。会場では子規が晩年試みた、郵便で回覧して句会を行う「十句集」も展示、病床にあった子規が空間の制約を超えて同好の士とつながっていた様子を伝える。

 川島さんは「子規という人物にはいろいろな切り口があるが、今回の展示が興味を持ってもらう入り口になれば。子規は人と人を結びつける句会という場を発展させたが、それが俳句革新にどう影響を及ぼしたか、今後も検討していきたい」と話している。

 10月17日まで。火曜日休館。観覧料は個人400円、65歳以上200円、高校生以下無料。10月16日には井上泰至防衛大学校教授による記念講演「句会の子規―様々な創意」がある。問い合わせは子規博(089・931・5566)。(戸田拓)

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