「生きているうちに見られて最高」 東北勢初優勝、白河関跡でも歓喜

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 深紅の大優勝旗がついに「白河の関」を越え、みちのくで翻る――。普段通りの野球を貫いた仙台育英(宮城)が22日、初優勝を果たし、東北勢が初めて全国の頂点に立った。東北勢にとって第1回大会以来10度目の決勝で、アルプス席や地元は100年越しの喜びにわいた。

 優勝が決まった瞬間、1千人を超える応援団が集まった仙台育英の一塁側アルプス席に、歓喜の輪が広がった。涙を流し、仲間と抱き合う野球部員もいた。

 3度目の決勝で果たした悲願。2015年に準優勝したときのエースで元オリックス佐藤世那さん(25)は、当時のメンバーらと優勝を見守った。「言葉に表せないくらい幸せです。後輩たちは見ていて頼もしかった。東北初の優勝はもう少し先かと思っていたが、重圧をはね返すだけの練習をしてきたということ。日本一になるべくしてなったと感じました」

 野球部OBで、1996年夏の甲子園にエースとして出場した吉川大介さん(44)は涙を抑えられなかった。「僕らのときから本気で日本一を目指していたが、できなかった。優勝に立ち会ったのに、今でも信じられない気持ちです」

 10歳と6歳の息子を車に乗せ、埼玉県から車で10時間近くかけてきた。長男の宗介くん(10)は「見たことがない光景に感動した。自分も仙台育英で日本一を目指したい」。

 佐藤悠斗主将の父、義孝さん(40)は、深紅の大優勝旗を持ってグラウンドを行進する息子の姿に目を細めた。「息子が歴史に残るキャプテンだなんて……。最高の親孝行です。『お疲れ様でした』と伝えたい」と話した。

 仙台育英の宮城野校舎(仙台市)でも、優勝の瞬間は「オーッ!」「ありがとう!」と生徒や職員約80人の歓声が響いた。中には涙を浮かべて抱き合う生徒もいて、選手たちの校歌斉唱の際には、立ち上がって応援用のタオルを掲げて体を揺らした。

 両手をぎゅっと握りながら中継映像を見つめていた同校1年のバスケットボール部の佐藤寧音(ねね)さん(15)は、優勝の瞬間に涙があふれた。「感極まってワーッと胸が熱くなりました。昼休みでもバットを振ったり走ったりする野球部を見ていた。日々の努力が報われたと思いうれしくてたまりません」と声を弾ませた。

 系列中学の硬式野球クラブチーム「仙台育英学園秀光ボーイズ」のエースで中学3年の佐々木隼登(はやと)君(15)は育英のメンバーと同じグレーのユニホームを着て応援。「先輩方が東北初の優勝を勝ち取り刺激を受けています。ぼくも甲子園のマウンドに立ちます」と意気込み、はにかんだ。

 同チーム監督の石垣恭和(たいが)さんは目に涙を浮かべながら、満塁本塁打を放った岩崎生弥選手(3年)に拍手を送った。岩崎選手は体調を崩して宮城大会に出られず、それでも大舞台で活躍を見せた。「彼は努力家だった。そのすべてがあの一打でかたちになった。最後にやってくれました」とたたえた。

 大林茂副校長は「『白河の関』をついに越えてくれた。悲願成就で感無量でした。コロナ禍で生活や練習に制約があり、精神面でも苦労してきたと思う。一人一人、健闘をたたえたい」と話した。

 仙台育英高校野球部のグラウンドがある地元・宮城県多賀城市の市文化センターではパブリックビューイング(PV)があり、市民や学生ら約270人が集まった。

 近くの土建会社に勤める70代男性は仕事を途中で抜けて駆けつけた。出稼ぎで関西にいた1969年夏、三沢(青森)が延長再試合の末に敗れた決勝戦を甲子園で見た。以来、東北勢の優勝が悲願だったという。

 仙台育英が最後の打者を打ち取ると、この日一番の笑顔を浮かべ、周りの観客と握手した。「こんな経験、なかなかできない。生きているうちに見られて、最高です」。笑いながらそう言った。

 利府町の主婦本間愛美(まなみ)さん(34)は4歳の娘と応援。五回無死一、二塁のピンチを無失点で切り抜けると、「心臓に悪いです」。

 中学の頃、東北(宮城)のダルビッシュ有投手を見て高校野球にはまり、毎年観戦してきた。福島に住んでいたこともあり、準決勝で仙台育英に負けた聖光学院(福島)など東北の学校を応援してきたという。

 試合終了の瞬間には笑顔で拍手を送った。「勝ってほっとしました。感動でいっぱいです」と涙を浮かべながら話した。

 地元の少年野球チーム「多賀城ニューパワーズ」の外野手石森慶汰君(12)と、投手安藤蓮君(11)は、仙台育英の満塁本塁打に互いに手をたたき合って喜んだ。石森さんは「あんなホームランを打てるように練習したい」。安藤さんも「ヒットを全然打てていないので、バッティングの練習がしたい」と話した。

 東北の玄関口とされてきた福島県白河市の「白河関跡」でもパブリックビューイング(PV)があり、集まった住民や高校野球ファンら約80人が「ついに優勝旗の白河越えが実現した」と喜びを分かち合った。

 高校野球界では、優勝経験がない東北6県の代表校が全国の頂点に立つことを「優勝旗が白河の関を越える」と表現され、長年の悲願となっていた。今年は仙台育英や地元・聖光学院が準決勝に進出し、東北のチームの優勝の可能性がこれまでになく現実味を帯びたことから、白河市が初めて、関所跡地でPVを企画した。

 関跡の隣にある白河神社では1997年から、春・夏の全国大会に出場する東北6県の高校に「優勝旗の通行手形」を贈りエールを送ってきた。西田重和宮司(74)は会場の最前列でメガホンをたたいた。「東北の悲願がかない、まさに感無量。仙台育英には同じ東北人として感謝したい」と話した。

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