日本で今年公開された映画「ハウス・オブ・グッチ」には、イタリアの老舗ブランドのグッチが、才能豊かなデザイナー、トム・フォードを起用して人気を復活させたという一場面がある。大手ブランドでは1990年代から、新しいデザイナーを起用してブランドイメージを刷新し、若者から支持を得ようとする動きが広まった。LVMHやケリングなどの巨大ファッショングループは同時期から、老舗ブランドを次々と傘下に収めたうえでそうした動きを加速させてきた。

 ブランドを立ち上げ、成長させることが王道だったデザイナーのキャリアのあり方も変わり、大手グループ傘下の老舗ブランドを任されることも、「成功」のロールモデルになりつつある。小さなブランドから大きなブランドに移ったり、老舗ブランドを渡り歩いたりするデザイナーも珍しくない。

 宇都宮市出身で、パリ在住の大森美希さん(51)は、こうしたゲームチェンジで「すごろく」のようになった欧米のファッション界において、バレンシアガ、ランバン、ニナリッチ、コーチと、著名ブランドのデザイン部門を渡り歩いてきた日本人の先駆者だ。文化服装学院を卒業後、服飾学校の教員を経て渡仏。「欧米のファッション界で生きてゆくには、日本の終身雇用とは違うジョブ型雇用の理解が大切」「自分のブランドを作りたいとは思わない」と語る。なぜだろうか。

巨大ファッショングループが老舗ブランドを買収、次々とデザイナーを交代させる「ゲームチェンジ」が起きた90年代以降、そこで働くスタッフやデザイナーたちにとっても「戦国時代が訪れた」と大森さんは言います。記事の後半では、大森さんがどのようにして欧米のブランドでキャリアを重ねてきたのか、「自分のブランドをつくろうと思ったことはない」という理由などについて、詳細を記しています。

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