白血病と闘った元高校球児の3年間 思い出すサインボールとあの冗談

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高橋健人
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スポーツ好奇心

 2019年9月。兵庫・仁川学院高2年の野球部員だった槙原葵人(まきはらあおと)さん(19)は2週間ほど、体の異変を感じていた。

 だるさが抜けず、37度台の発熱が続いた。

 病院で血液検査を受けると、「急性骨髄性白血病」と診断された。

 医師からは「治療があと1カ月遅れたら(命が)持たなかった」と告げられた。

 「死ぬんじゃないか」。恐怖が押し寄せた。

 高校では1年秋から正遊撃手。チームの最上級生になり、張り切っていた矢先、闘病が始まった。

 吐き気や頭痛に苦んだ抗がん剤治療を終え、20年2月に退院。部活への復帰は、さらに4カ月後の6月だ。

 思うように体が動かず、守備では打球が速く感じた。復帰後最初の練習試合では3失策。それでも野球ができる喜びを感じた。

 コロナ禍の同年は、夏の全国選手権大会が中止になった。

 槙原さんは8月の県独自大会、初戦の武庫荘総合戦に「4番・遊撃手」で出場。1安打を放った。チームは7回コールドで敗れたが、同級生とともにプレーできる最後のひとときをかみしめた。

 その2週間後、定期検診で病気の再発がわかった。

 「またあのつらい治療が待っているのか」と後ろ向きな気持ちになった。

 そんな憂鬱(ゆううつ)な気分を吹き飛ばすサプライズがあったのは、一時退院をしていた20年11月中旬だ。

 OBでプロ野球阪神にドラフト1位指名を受けたばかりの佐藤輝明(23)が自宅に足を運んでくれたのだ。

 高校の監督らの粋な計らいだった。

 リビングで向かい合い、心の中で「でかっ」と思った。

 先輩はサインボールを手渡しながら、こう言った。

 「(復帰したら)これでティ…

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