幼子だった私を救った「ゆりかご」 判明した出自、実名で語る18歳

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堀越理菜
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 幼子だった少年はこの春、大学生になった。「ゆりかご」があって、今がある。

 3月のある週末、熊本市の教会に親子連れが次々と集まった。子どもたちは特製の甘口カレーや食料品などを笑顔で受け取る。子ども食堂を運営する団体代表を務める宮津航一さん(18)が忙しく動いていた。

 14年前、幼かった航一さんは新聞記事の写真を見て言った。「僕、ここに入ったことある」。驚いた母のみどりさん(63)は、とっさに何と答えたかも覚えていない。熊本市の慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)を伝える記事だった。

 「うそをつけばつじつまが合わなくなる。この子には、事実は全部伝えよう」。父の美光さん(65)とみどりさんは決心した。

 お好み焼き屋を営んでいた美光さんとみどりさんは5人の息子を育て、親と暮らせない子を引き取って養育する里親登録をした。

 ある日、児童相談所から里子の引き取りについて相談があった。家族で話し合った結果、迎え入れると決めた。

 児相からは、ゆりかごに預けられた子だと伝えられた。戸籍法に基づいて棄児とされ、熊本市長が名付けの親だった。驚いたが、「なおのことかわいがろう」と受け入れた。

 初めて児相で顔を合わせた時、美光さんは、航一さんをひざの上に乗せた。「僕たちが付いているからもう心配ないよ」と声をかけた。

 宮津家に来た航一さんは、時々さみしそうに3本の指を口の奥まで入れてしゃぶっていた。2人は兄たちを育てたように、一緒にお風呂に入り、川の字になって寝た。次第に抱っこをねだるなど甘えてくれるようになった。保育園に送ると、フェンス越しに「早く迎えに来て」という目でこちらを見ていた。他の誰よりも早く迎えに行った。幼い航一さんの成長は喜びだった。

産みの母は…

 小学生になった航一さんは…

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