震度7で被災の「学生村」 6年がたち、体験伝える学生の活動正念場

有料記事熊本地震

編集委員・東野真和
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 熊本地震で被災し、かつて「学生村」だった熊本県南阿蘇村を離れた東海大農学部生たちの、震災伝承や地域交流の活動が正念場を迎えている。地震から6年となり、現地で体験した学生がいなくなったうえ、長引くコロナ禍で、活動への参加者が激減。解散した団体がある一方、新しい動きも出ている。

熊本地震 

2016年4月14日午後9時26分にM6・5の前震、16日午前1時25分にM7・3の本震が発生。熊本県中部を走る布田川・日奈久(ひなぐ)両断層帯を震源に、観測史上初めて2度の震度7を記録した。死者は熊本、大分両県で276人(今年3月11日時点)に上り、震災後に亡くなった災害関連死が8割を占める。全半壊または一部損壊した住宅は約20万棟で、熊本県南阿蘇村では全長約200メートルの阿蘇大橋が崩落した。

 東海大農学部はかつて南阿蘇村黒川地区にあり、約50軒の下宿やアパートで、約800人の学生が暮らしていた。地震で倒壊した建物の下敷きになって学生3人が亡くなり、校舎や下宿などの大半の建物が被災。学部の授業は熊本市の校舎に移り、黒川には農業実習に来るだけになった。

 学生村で地震を体験した学生たちは黒川を離れたが、「阿蘇の灯(あかり)」「復興への道」という2団体を結成。「語り部」となって視察者や後輩らに震災体験を伝え、様々なイベントを通して黒川とのつながりを持ち続けてきた。

 結成時にそれぞれ20人以上参加していたが、学生村に住んだ経験がない学生が増えるにつれて減っていった。そこに追い打ちをかけたのが、コロナ禍だった。現地での活動が制限されたうえ、授業の多くがオンラインになり、新入生の勧誘が対面でできなくなった。

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