動乱の祖国、父の勘当…ミャンマー難民選手が日本で想う戦争と平和

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宮崎亮
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 サッカーのミャンマー代表として来日後、国軍のクーデターに抗議して帰国を拒み、日本政府に難民認定されたピエリアンアウンさんが4月から、Jリーグ3部のクラブチーム「YSCC横浜」で平和アンバサダーとして活動する。人生を変えたクーデターから1年余り。「ショックを受けた」と振り返る父親からの「勘当」宣告、サッカー選手を引退する決断……。朝日新聞記者のインタビューに、近況と胸の内を明かした。

 ピエリアンアウンさんは、ミャンマー代表チームのゴールキーパーだった。クーデター後の昨年5月、ワールドカップ予選に出場するため来日し、日本代表との試合前、国歌斉唱の際に、国軍への抵抗の意思を示す「3本指」をテレビカメラに向けて掲げた。

【本人出演・音声つき】サッカー選手の夢か、正義か 僕が3本指を掲げるまで

ピエリアンアウンさんは難民申請を出した直後の去年6月、朝日新聞ポッドキャストに出演し、ミャンマーの当時の現状や「3本指」を立てた思いについて、語ってくれました。リンク先ではその音声も聞けます。

 「そのまま帰国したら命が危ない」。救出に動いた在日ミャンマー人らと連絡を取り合い、6月16日、帰国寸前の関西空港出入国在留管理庁の職員に保護を求めた。

 「私にとって日本は見知らぬ外国で、不安や心配だらけでした。大阪の支援者たちのおかげで生活ができ、昨年7月末からはYSCC横浜の練習生になりました。その後、YSCCのフットサルチームで、プロ選手としてプレーする機会もいただいたのです」

 「メディアが私を取り上げてくれたことで、日本の人たちがミャンマーに関心を持ってくれるようになりました。全国から応援のメッセージが届いたことはうれしかった」

 昨年8月、日本政府から難民認定を受けた。定住者として、日本で働くことも認められた。申請から約2カ月という異例の早さでの認定だった。

ぶつかった壁

 練習生からJリーガーへ。そんな夢も描いたが、今回、サッカー選手としてもフットサル選手としても引退するという。決断の背景に何があったのか。

 「昨年9月から化粧品の工場で週5回働きながらフットサルをしていましたが、フットサル1本に絞りたくて11月に仕事をやめました。でも、それが逆効果になり、空き時間ができたことで、いろいろ考え込んでしまった。家族のことや、母国のこと……。どんどん心配になりました」

 「(サッカーよりも狭いコートで行う)フットサルは周りとのコミュニケーションがとても重要です。私はそもそもフットサルに慣れていなかったうえ、日本語もできない。試合や練習でうまくいかず、すごく落ち込みました。チームメートはみんな親切で感謝しています。でも、家族や国のことも心配で、それが心労になり、練習を休むようになりました」

 「自分は言葉が理解できない外国人なので、日本人の2倍努力しないといけない。引退を決めたのは、国や家族が心配でプレーに集中できないようでは、申し訳ないと思ったからです」

 今年2月、そんなピエリアンアウンさんを、さらに動揺させる出来事があった。

父からの宣告

 ピエリアンアウンさんの父親…

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