奈良時代最大級の木造仏 滋賀・百済寺の秘仏が重文へ

筒井次郎
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 詳しい調査がなされず謎の秘仏だった観音像が、現存例の少ない奈良時代の木造仏だったことがわかり、国の重要文化財に指定される見通しとなった。湖東三山の名刹(めいさつ)・百済寺(ひゃくさいじ)(滋賀県東近江市百済寺町)の木造十一面観音立像(りゅうぞう)。国の文化審議会が15日、文部科学相に答申した。

 観音像は高さ2・49メートルと巨大だ。頭上に11の顔があり、左手で蓮華(れんげ)を挿した瓶(華瓶(けびょう))を持って直立する。本堂の厨子(ずし)内に安置される秘仏本尊。原則、住職一代につき一度しか開帳されない。

 昨年12月に文化庁が調査し、体形や作風から奈良時代(8世紀後半)に制作されたことがわかった。一本の木から造る「一木(いちぼく)造り」で、元は台座の一部まで同じ木から彫り出されていた。

 「古い。大きい。そして木造である点にとても価値があります」と県立琵琶湖文化館の和澄浩介・主任学芸員(彫刻史)は指摘する。

 奈良時代以前の仏像は、仏教を伝えた中国の影響で銅造や塑造(そぞう)(粘土)が多い。木造は平安時代以降に盛んに造られるが、それ以前のものは飛鳥時代法隆寺・百済(くだら)観音(国宝)など奈良が中心地だ。その後いったん廃れ、文化庁によると奈良時代の現存例は20~30体ほどしかないという。

 百済寺の観音像は滋賀県で最古の木造仏とみられる。高さは、同時代の木造仏では安祥寺(あんしょうじ)(京都市山科区)の十一面観音立像(2・52メートル)に次ぎ最大級だ。

 像の表面には、漆で接着した当初の金箔(きんぱく)が残り、保存状態が良い。一方で長身ながらも頭部が小さい特異な姿をし、正面の彫り具合は浅く、立体感が少ない。

 こうした特徴から、造ったのは仏師ではなく、半専門的に仏像を造った僧侶(造仏僧)などとみられる。和澄さんは「都の仏像と違い、素朴で親しみやすさもある」と話す。

 右腕と胴体が分離せず、つながっている造形も印象的という。「通常、腕は別の木を組み合わせて造る。なるべく一本の巨木から全身を造ろうとした意識がうかがえる」

 百済寺は飛鳥時代の聖徳太子の創建と伝わり、像は太子の伝承とともに古くから「植木観音」と呼ばれてきた。杉の大木の上半分が百済(くだら)(朝鮮半島の一国)の寺の仏像用に運び出されたことを知った太子が、根がついたままの下半分の木に観音像を刻んだという伝承だ。1573年に織田信長の焼き打ちに遭い、運んで逃げる際に台座が切断されたという。

 文化審議会では「数少ない奈良時代の木彫像の貴重な一例であるとともに、この時期の近江の造像を考える上で見逃しがたい作例だ」と評価された。

 寺は、太子没後1400年を迎える来年10月1~16日、重文指定の記念を兼ねて特別参拝を予定している。

 県内の国宝・重要文化財(美術工芸品)は計640件となる。(筒井次郎)

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