東北の作家が見た「おかえりモネ」 「感動の物語」からの解放 

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構成・宮田裕介
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 NHKの連続テレビ小説「おかえりモネ」が、29日の最終回まで残りわずかとなった。

 SNSなどでも盛り上がりを見せるが、盛岡市在住の作家のくどうれいんさん(26)は、ドラマを楽しみにしている一人だ。

 今年、芥川賞候補になった小説『氷柱(つらら)の声』(講談社)では、東日本大震災の発生時に盛岡の高校生だった主人公を軸に、社会が求める「震災の物語」とは違った岩手、宮城、福島にゆかりがある同世代の若者たちの内面を描いた。

 くどうさんは「おかえりモネ」について、「被災者」とひとくくりにできない痛みをもった人たちを丁寧に描いた物語だという。魅力は何なのか。話を聞いた。

     ◇

「被災者」とひとくくりにできない痛み

 『氷柱の声』を書くまで震災以後の表現、被災地を舞台にした表現を、自分から積極的に見てきませんでした。

 その理由の一つは、何かを失い、そこから立ち直る被災地の物語が苦手だということ。そういう物語を見た時に純粋に感動したと言える人と、何を言ったらいいかわからなくなる人がいます。私は同じ岩手なのに、内陸にいて申し訳ないという思いになります。

 小説『氷柱の声』を書き終えたからこそ、表現している方が、東北や震災を背景にした物語をどのように描くか気になり、普段はあまりドラマを見る習慣はなかったのですが、見始めました。すると、いつの間にか見ずには出勤できなくなりました。

 様々な人物のリアリティーのある部分を取り上げてくれています。主人公のモネこと永浦百音(清原果耶)は被災地で暮らしながら、津波が襲った時に島にいませんでした。「被災者」かどうか、自分では何とも言えないけど、モネなりの心の傷がある。「被災者」とひとくくりにできない痛みをもった人たちにとても魅力を感じました。

 モネが背負い込み過ぎて見える人もいるかもしれません。しかし私にとってモネは、とてもリアルな人物です。モネのように職業選択までしなくても、東北に関わっている人は同じような心境で生活している人は数多くいると思うんです。

 私は「おかえりモネ」は「震災もの」ではなく、様々な立場の人の内面を丁寧に描いたリアリティーある東北の物語だと思って見ています。

 例えば、最近では及川亮(永瀬廉)のセリフ。東京から帰ってきたモネに亮はこう言います。

 「きれいごとにしか聞こえないわ」

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 その場にいた同級生たちが「…

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