平泉寺白山神社の苔@福井

佐藤孝之
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 台風14号が西日本を横断した翌朝。木々を抜けて差し込む何本もの光の帯が、水分をため込んだ緑の苔(こけ)のじゅうたんを輝かせていた。「京都の苔寺の苔など、この境内にひろがる苔の規模と質からみれば、笑止なほどであった」。司馬遼太郎が著書「街道をゆく 越前の諸道」にそうつづった福井県勝山市の平泉寺白山神社を訪ねた。

 開山は717年。この地の泉で神託を受け、白山に登拝した泰澄(たいちょう)大師が社殿を建てたとされる。神仏習合の白山信仰の拠点寺院となり、中世には国内最大級の宗教都市として栄えた。僧の住居は6千を数えたとも伝わる。だが戦国期の1574年、一向一揆との戦いですべて焼失。その後再興され、明治の神仏分離政策で白山神社となった。

 杉の巨木に囲まれた石畳の参道をゆっくり上る。左右の地面をびっしり覆う苔が、せり上がるように杉の下部まで緑に染めている。静かな境内に時折、野鳥の声が響く。神聖な領域に足を踏み入れるのだという厳かな気持ちがわいてくる。

 一の鳥居、二の鳥居をくぐると、苔がひときわ美しく一面に広がっていた。人気の撮影スポットなのだろう。数人が刻々と変化する木漏れ日に注意を払いながらシャッターチャンスをうかがっている。石段を上り拝殿へ。焼失前の拝殿は間口が80メートル以上ある巨大建築物だったという。緑の苔に彩られた礎石群が、往時の隆盛をしのばせていた。

 ところで、一帯には何種類の苔があるのか。「コケはなぜに美しい」(NHK出版新書)などの著書がある福井県立大学の大石善隆准教授(コケ生物学)によると、境内ではイタチノシッポという別名があるヒノキゴケや白緑色が特徴のホソバオキナゴケなど約150種、周辺を含めると220種以上が確認されているという。

 「これほどの規模に広がる苔は、寺社では全国屈指。一帯には国内では報告例が少ない種も生育しており、生物学的にも興味深い地域です」

 背景には①森に囲まれ、湿度が比較的高く維持されている②冬も積雪で乾燥から守られている――など苔に適した自然環境がある。だが、それだけではないと大石准教授は強調する。「苔は落ち葉や雑草に覆われると、日光不足で枯れてしまう。長年続けられてきた落ち葉かきや草むしりが苔を育んできたんです」

 うっそうとした境内は落ち葉も当然多い。だがいつ訪れても、苔の上には不思議なほど積もっていない。

 実は地区の氏子らがボランティアでそうじを買って出ているおかげだ。中心の一人が大久保満さん(70)。週2~3回ほど、朝のうちに送風機を背負い、苔の上の落ち葉を吹き飛ばしたり、雑草を抜いたりしている。もう10年続けている。「参拝客にはいつでも最良の状態の苔を見てほしいですから」

 観察のポイントを大石准教授に教えてもらった。

 「しゃがみ込んで、苔にぐっと顔を近づけてください。苔の色は深緑、黄緑、鮮緑(せんりょく)、白緑などと多彩ですし、葉の形も大きさも様々だと気づくはず。ふだんの目線では見えない、足元に広がる小さな世界が、苔の魅力です」

 拝観料はなし。宮司の平泉家は、観光PRなども一切しない姿勢を代々貫いている。平泉隆房宮司は「長い歴史の中で受け継いだ神社の景観やたたずまいを、そのまま次の世代へつないでいきたい」。1300年を超す神社の歴史と白山信仰に思いをはせながら、苔むした参道を下った。(佐藤孝之)

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