涙を拭き、急ぐ再就職 日本製鉄呉の「高炉の火」、60年の歴史に幕

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能登智彦
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 【広島】日本製鉄(日鉄、東京)は29日、呉市昭和町の瀬戸内製鉄所呉地区の第1高炉を止めた。第2高炉はすでに止めており、1962年に初めて入った高炉の火がすべて消えた。再稼働の予定はなく、同地区は2023年9月末までに閉鎖される。地域を長年支えてきた日鉄撤退の影響は大きく、呉市などは経済や雇用の維持に正念場を迎える。

 高炉は製鉄所の中核設備で鉄鉱石などを入れて風を吹き込み、溶けた鉄をつくる。日鉄はこの日午前3時20分に高炉を機能させる送風を止めた。

 呉の製鉄所の閉鎖方針は、中国などの台頭による激しい競争を受けた経営的な措置。呉の製鉄所は、戦艦大和の建造で知られる旧日本海軍の呉海軍工廠(こうしょう)の跡地にあり、敷地面積は143万平方メートル。日亜製鋼(当時)が1951年に進出。62年6月に第1高炉に火が入り、66年に第2高炉も稼働した。

 製鉄所は重厚長大型産業が集まる呉の象徴で、高炉以外にも様々な鉄の加工設備がある。関連・協力会社を含めて約3千人が働き、高炉を止めたことで半数が職を失う。日鉄は社員を県外への配置転換で対応し、関連・協力会社にも県外の仕事のあっせんなどを進めている。だが、先行きの不安などから再就職活動を急ぐ従業員らは多く、呉市や広島労働局は企業面接会を開くが、コロナ禍もあり再就職の「受け皿」は十分ではない。日鉄広報センターは「無事、安全に高炉の送風を止めた。地域経済への影響については最小限に抑えたい」としている。

 高炉が止まった29日朝、製鉄所前を訪れた70代の元社員の男性は「悲しい。高炉に『長年お疲れ様』と話しかけた」と涙を流した。20代の協力会社員も「残念。再就職先を探します」と話した。(能登智彦)

瀬戸内製鉄所呉地区をめぐる動き

1951年 呉海軍工廠跡に日亜製鋼が進出

  59年 日亜製鋼と日本鉄…

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