元ピンク・レディー「ミー」さん 激動の軌跡 下

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聞き手・西本ゆか
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 1976年にデビューし、日本中を席巻したピンク・レディー。ところが79年の渡米後は解散説が吹き荒れ、81年のさよなら公演に至ります。2人に何があったのでしょうか。

全米デビュー 冠番組をつかむ

 ――79年、米国に進出しました

 英語で歌ったシングル「KISS IN THE DARK」はビルボード37位。様々な番組にゲストで出演していると、やがてNBCからオファーを頂きました。コントと歌の「ピンク・レディー・ショー」です。全米ネットワークの冠番組は、日本からの仕掛けで得られるものではありません。正真正銘、自らの手でつかみとった成果でした。

 「海外で通用する歌手」はデビュー当初から事務所の悲願。日本で英語学校に通わせてもらっていましたが、超多忙なスケジュールの合間に授業を受けても朦朧(もうろう)として、頭に入ってきませんでした。NBCで挨拶(あいさつ)した時も、長い話の後に「アンダースタンド(わかった)?」と聞かれて2人とも即座に「NO!」。すごくウケて、のちにコントになったほどです。英語の分厚い台本は丸暗記するしかない。ゲストに覚えてきた質問を言うことはできても相手の答えは聞き取れず、話し終わったと思うタイミングで次の質問に進みました。食べる時も寝る時も台本を手に、毎日ひたすら英語漬け。頭の中は、日本よりよほど忙しい日々でした。

 でも努力は裏切らない。番組は好評で、NBCから契約本数を増やすお話も頂きました。知名度も上がり、そのころには街中で「ヘイ、ピンク・レディー!」とファンに声をかけられるほど。米国進出は成功だったのです。

 帰国した私たちを大勢の記者の方が待っていた。向けられたのは凱旋(がいせん)報告のマイクかと思えば、思わぬ厳しい質問ばかり。私たちが不在の日本で、米国進出はなぜか失敗と報じられ、不仲説、解散説まで流されていました。

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■バッシングの日々…

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