「政争の具」危機感 混迷の「表現の不自由展」に作家は

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笹川翔平 武田肇 関謙次 編集委員・北野隆一 田中ゑれ奈
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 「あいちトリエンナーレ2019」で展示が一時中止となった企画展「表現の不自由展・その後」の出展作品を集めた展覧会が、大阪と東京で相次いで困難に直面している。街宣活動による妨害のため東京は延期となり、大阪では会場側が利用承認を取り消した。名古屋では、企画展に否定的な団体が同じ施設内で別の展覧会を予定。抗議活動や行政側の対応に注目が集まり、作品が人の目に触れる機会を奪われる事態に、展覧会の出品作家は胸を痛めている。

吉村知事は会場側の判断に「賛成」

 「表現の自由を守れるかどうかの試金石だ」。16~18日に大阪市で予定されている展覧会「表現の不自由展かんさい」の実行委員会は、危機感をフェイスブックでこう訴える。6月30日には会場使用を求めて大阪地裁に提訴した。

 会場の「エル・おおさか」は府が所有している。その指定管理者が6月25日に突然、「安全を確保することは極めて困難」との理由で利用承認を取り消した。指定管理者によると、脅迫めいたものは確認されていないが、抗議の電話やメールが約70件寄せられ、街宣活動も加わったため、府と相談して承認取り消しを決めたという。

 施設を所有する府のトップの吉村洋文知事は「行政として表現内容に立ち入って評価するつもりはない」としつつ、「安全な施設管理運営が難しい」との理由で利用承認取り消しは「賛成」の立場だ。「違法でない限り、展覧会を不快に思う方々が様々な活動をすることもまた自由だ」と抗議活動に理解を示した。

妨害行為によって各地で困難に直面している企画展「表現の不自由展」。表現の自由を守るために行政はどうあるべきでしょうか?批判の自由をどう考えるべきでしょうか?識者の見解を交えて考えました。

 名古屋市では7月6~11日、市の施設で同様の展覧会が予定されている。一方、9~11日には向かいの展示室で、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)元会長が「党首」を務める政治団体の関係者らによる実行委が、「トリカエナハーレ」と題する別の展覧会を開く。この団体が過去に開いた展覧会は、大村秀章愛知県知事が展示内容を「明確にヘイトに当たる」と指摘した。

 施設を管理する市文化振興事業団は双方の主催者と協議し、「現状で差し迫った危険はない」として予定通りいずれの開催も認める立場だ。2019年の不自由展に激しく反発した河村たかし市長も「公金でなく自分の金で主催するなら表現の自由を認めないといけない。公共施設は多くの人に使ってもらいなさいという法理がある」と、市事業団の判断を支持している。

 一方、東京都内で予定されていた展覧会は、大音量による街宣活動を受けて会場の民間ギャラリー2カ所が辞退し、延期が決まった。実行委のメンバーに危害を加えるような内容のメールもあったといい、法的対応を検討している。(笹川翔平、武田肇、関謙次、編集委員・北野隆一

行政トップが毅然とした姿勢を  南野森さん

 表現の自由をめぐる問題に詳しい南野森(しげる)・九州大教授(憲法学)の話 最高裁の判例では、公の施設が平穏な集会の開催を拒否できるのは、警察が警備しても混乱の発生を防げないといった特別な事情がある場合に限られる。主張に反対する「敵対的聴衆」が押しかけてくるというだけでは、施設の管理上支障が生じるとはいえず、それで表現や集会の自由を制限できるわけではない。電凸(でんとつ)と呼ばれる電話による集団的な抗議などで、気に入らない言論や表現活動を封じ込めようとする行為は、民主主義社会を極めて危険にする。行政のトップが威圧的な妨害活動には屈しないという毅然(きぜん)とした姿勢をとらなければ、そうした行為をする人たちに「成功体験」を与えてしまう。違法でなければどんな抗議も良いかのような吉村洋文大阪府知事の発言は、電凸を許容しているようなメッセージに受け取られるのではと危惧する。東京展のような民間ギャラリーの場合も、電凸などで抗議する人たちに成功体験を与えないために警察に警備を頼みながらでも踏みとどまってほしいと思うが、公の施設ではないので、最終的にはその経営者など私人の判断によることになるだろう。

作家らも危機感

 外部の圧力を受けた混迷ぶりに、出品作家らも危機感を示す。「作品を政治闘争の道具にされているのでは」と懸念する声もある。

 大阪展会場のエル・おおさかの利用承認をめぐり、関西を拠点に活動する美術家の岡本光博さんは「東京展のように個人運営のギャラリーならまだしも、公的施設が正当な理由もなく承認を取り消したのは許されない」と話す。「不自由展の作品は扱うテーマの性質上、社会に向けて発信できる場が少ないので、一つひとつが大切な機会。『あいトリ』で見たくても見られなかった人たちの思いに応えられないのも悲しい」

「作品を批判する自由」は、ある大前提があるからこそ成り立つーー。記事の後半で専門家が話す「ある大前提」とは何でしょうか。

 フェミニスト・アーティスト…

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