原発事故あの瞬間 福島中央テレビだけが撮れた理由

有料記事多事奏論

論説委員・田玉恵美
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 勘弁してください。地元がこんなことになっているのに、誇らしげに語るような気にはなれないんですよ。

 電話口でそう言われ、取材をあきらめた。でも、ことあるごとに思い出しては気になった。あれから10年がたった。今ならば、もしかして。メールを送ったら返事が来た。「取材をお断りしたにもかかわらず気に留めていただいていたことは大変恐縮なので、ご要望にお応えしたい」

 福島県郡山市の福島中央テレビ(FCT)へ行くと、当時は報道制作局長だった前常務の佐藤崇さん(64)が待っていた。傍らには25センチ四方、奥行き60センチのアナログカメラ。2011年3月12日午後3時36分、東京電力福島第一原発1号機で起きた水素爆発の撮影に同局はメディアで唯一成功した。大きく舞い上がった白煙は、世界に安全神話の崩壊を知らしめた。なぜFCTだけが撮影できたのか。聞くと、たやすく撮られたかに見える映像の裏に、いくつもの岐路があった。

 海沿いに立つ原発をはるかに望む楢葉町の山の頂上近くにある鉄塔の上、標高690メートルの地点にFCTがカメラを据えたのは00年。前年に隣の茨城県にあるJCOで臨界事故が起き、有事の際に記者やカメラマンが現地に近づけなくなる事態が現実化していた。現場へ行かずに映像を撮るためには無人カメラが重要だとの考えから設置を急いだ。県内の民放では最も早い動きだった。

 「でも、正直言って遠すぎると思ったんですよ」と佐藤さんは当時を思い起こす。第一原発から17キロ、第二原発から10キロも離れていたからだ。NHKは第一と第二のほぼ中間で、第一から6キロしか離れていない海沿いの好地点にすでにカメラを置いていた。同じ場所に据えることも考えたが、FCTの本社まで無線で映像を送るには技術的に難がある立地だった。技術部次長として設置場所を探し回った前取締役の松本達夫さん(66)は、「第一も第二も映すことができ、かつ映像を送ることもできる場所が地理的になかなか見つからない難しい地域だった。遠くても、妥協せざるをえなかったんです」と明かす。

 だがその後、デジタル化の恩恵もあって有線で安く映像を送れるようになり、設置場所の選択肢が増えた。09年、FCTは第一と第二の原発からわずか2キロの地点にそれぞれ新しくカメラを設置する。肉眼でもよく見えるほどの近さだった。このころには民放他局もそろってNHKの並びにカメラをつけていた。これでようやく「他局並み」に追いついたとFCTは安堵(あんど)したという。

 すると震災3カ月前の10年12月、山のカメラを撤去する話が持ち上がり、抵抗した幹部がいたことを佐藤さんは震災後に知った。「ついてるもんは、なんもつけとけばいいべ!つってきたがら」と言ったその人の声が佐藤さんの耳には今も残っている。こうして古いカメラは予備として残すことになった。

「あと数分でも遅れていたら」

 そして迎えた11年3月11…

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    磯野真穂
    (東京工業大学教授=応用人類学)
    2021年6月23日14時31分 投稿
    【視点】

    水素爆発の映像を届けることで、良くも悪くも作られてしまう福島の一面的なイメージ。それはしばしば「切り取り」と批判されますが、切り取らなければ報道はできません。 人類学者のアルジュン・アパデュライは「メディアスケープ」という言葉で、メデ

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    津田大介
    (ジャーナリスト)
    2021年6月23日15時47分 投稿
    【視点】

    新聞業界には「紙齢(しれい)をつなぐ」という表現があります。紙齢とは新聞が創刊してからの通算発行号数を指す言葉で、東日本大震災発生時、被災3県に拠点を置く新聞社はそれぞれ輪転機や物流拠点がダメージを受け、紙齢が途切れる危機に見舞われました。

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