放送記者と「おちょやん」 やいワレ、オンドレの底力

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土井恵里奈
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 「明るいドラマとして描きました」。脚本家の八津弘幸さんは、取材でそう語っていた。放送中盤まで、視聴者から「暗い」「重い」と散々言われ続けたはずなのに。

 実在の役者浪花千栄子をモデルにした朝ドラ「おちょやん」は、筋だけを追うと悲惨そのもの。主人公は9歳で家を追い出され、奉公へ。成長し、役者を生業にするも、父の借金、戦争、夫の不倫に離縁。家、金、親、配偶者という人生の4大安全地帯が次々に奪われていく。むちゃくちゃな千本ノックを浴び続ける半生だ。

 しかし、主人公はくたばらない。あり得ない方向から飛んでくる不幸な球を、壁に激突したりはいつくばったりしながら受け止め、投げ返す。「オンドレ」「やいワレ」と自分を鼓舞しながら。

喪失の先に

 いろんなものを失い続ける主人公を、再び前へと向かせたのは何だったのか。親の改心や夫の謝罪という、大それたものではない。懐に入れたガラス玉のきらめきとか、見上げた夜空の月明かり、夜の川面に映る街灯の花や、名もない花の贈り物。閉ざしかけた心を開くのは、いつもそんなささやかなものだった。

 随所にちりばめられた笑いも、作品の風通しを良くしていた。葬式、戦争、離婚といった緊迫の場面にこそ、小さなユーモアがたらり。人間の複雑な感情を理屈や常識でぶった切らず、丁寧にすくい取った。

 不謹慎な人物も、不道徳な行為も登場した。スポットライトが当たっていたのは、逆風や向かい風にさらされる人たち。父テルヲの弱さ、夫の一平の愚かさを全部理解できたとはいえない。でも、そう生きるしかなかったのだと思う。彼らとの苦楽の日々を、役者としての肥やしに変えていった千代の強さを思う。

生きる壮絶さ

 物語が伝えようとしたのは、生きていく壮絶さだ。裏切り、奪い、傷つける。それでも主人公はがむしゃらにぶつかり関係を深めていく。喪失、人と人との関わり、再生。愛情の裏も表も見せたドラマだった。

 主人公が、役者として大成し…

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