飛鳥時代の女帝・斉明天皇の陵との説がある牽牛子塚(けんごしづか)古墳(奈良県明日香村、国史跡)の整備が、今年度末で完了する見通しだ。珍しい八角形をした古墳(八角墳)の築造当時の姿がよみがえる。村教育委員会は古墳に親しんでもらう取り組みにも力を入れる。

 牽牛子塚古墳は7世紀後半に築かれたとされる終末期古墳だ。墳丘は対辺長約22メートル、高さ約4・5メートル以上。埋葬施設の「横口式石槨(せっかく)」の中央には仕切りがあり、二つの棺が置かれていたとみられる。斉明天皇と娘の間人皇女(はしひとのひめみこ)の合葬墓と考えられている。

 八角墳は当時の天皇陵に特有のもので全国にも例が少ない。村教委は2017年度から、八角形がはっきり分かるよう復元する整備事業を始めた。

 文化財課の西光慎治調整員によると、八角墳の復元は全国で初めて。墳丘に凝灰岩を張り巡らせるなど往時の姿を再現する。隣接する越塚御門古墳と一体整備し、飛鳥時代の天皇陵を体感できる施設として保存、活用する。来年3月に工事が済めば、一般公開を始める予定だ。

 牽牛子塚古墳はかつて、「あさがお塚」とも呼ばれていた。多角形の墳丘が、アサガオの花びらに似ていたからだという。村教委は古墳のまわりにアサガオを植えたり、地元の人にアサガオの種を配ったりする試みも検討している。幅広い人に古墳を好きになってもらおうとしている。

 県などが「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の世界遺産登録を目指すなか、牽牛子塚古墳は構成資産の一つだ。同課の小池香津江課長は「構成資産をきちんと保護して、飛鳥時代の姿を忠実に再現して、見ていただく。どちらも世界遺産登録に向けて大切」と言う。

 明日香村には、昨年の発掘調査で文武天皇陵である可能性がさらに高まった中尾山古墳と、天武天皇とその妻の持統天皇の合葬墓とされる野口王墓(のぐちのおうのはか)古墳もある。いずれも八角墳として知られている。(清水謙司)

関連ニュース