「半沢直樹」生んだ原点へ 池井戸潤が再訪したネジ工場

有料記事池井戸潤が撮る 日本の工場

文・写真 池井戸潤 映像報道部・杉本康弘 「好書好日」編集長・加藤修
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池井戸潤が撮る 日本の工場

 作家の池井戸潤さんが仕事の現場を訪ねる企画が、朝日新聞土曜別刷り「be」で連載中です。今回は、大阪市港区の帝国製鋲(せいびょう)。代表作「半沢直樹」シリーズを生み出した原点とも言うべき工場に、カメラとペンで迫ります。デジタル版では池井戸さんが撮影した写真をたっぷりご覧いただけます。

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 大阪での道の呼び名にはルールがある。南北に走る道は「筋(すじ)」、東西が「通(とおり)」だ。

 半沢直樹が融資課長として勤務していた東京中央銀行大阪西支店は、「四つ橋筋」と「中央大通」が交差する場所に位置している。この辺りから大阪港にかけては鉄鋼やネジ製造業者が集結する「鉄」の街だ。いまはともかく、小説の舞台となる2000年前後は、メガバンクや地銀、信金がしのぎを削る金融激戦区であった。

高品質のネジ作る老舗

 今回、撮影をお許しいただいた帝国製鋲株式会社の創業は1917(大正6)年。100年もの間、ボルトや犬くぎを製造してきた老舗である。

 ネジは元来が薄利多売だが、同社は大型で高品質のネジ――つまり大型のボルトなどを作ることで差別化を図り、付加価値をつけてきた。この界隈(かいわい)のネジ業者の中で、同社ほど大きく硬い製品を主力としているところはない。

「社歴は古いですが、第2次世界大戦までの詳細な資料がないんです」

 と鈴木典和社長。戦時中、高品質な同社製品は戦闘機などに採用されていたために工場が爆撃の標的とされ、ついに焼失してしまったのだとか。

 大阪港の天保山運河沿いにある工場の建屋内に一歩入ると、機械の作動音と、熱で成型された大型のボルトや犬くぎが工作機械から吐き出される金属音が幾重にも迫ってきた。隣に立つ人の声も聞き取りにくいほどだ。

 蛍光灯の輝き、もうもうと立ち上る白煙、油の匂い、削りくずの山。真っ赤に焼けた六角ボルトがベルトを滑ってトレーに落ちていき、やがてその赤みが鈍色(にびいろ)に変ずる様を目の前で見ることができる。

 この工場の特徴は、熱を使って鉄を軟らかくして加工する「熱間鍛造(たんぞう)」と素材をそのまま成型する「冷間鍛造」のふたつの鍛造工程を両方持つことだ。

 とくに赤く焼けた製品が吐き出される熱間鍛造の工程は、いくら見ても飽きないほどの魅力がある。見ていると吸い込まれそうで、産業革命以来、連綿と続く「ものづくり」の原点にふれた気になる。

 手作業で形成されていく製品は、品番ごとに袋に入れられて梱包(こんぽう)され出荷されるが、その使途は、建設、大型機械、航空機など多岐にわたる。中でも多いのが鉄道用だ。

 新幹線に乗るとき、ホームから覗(のぞ)き込めば、レールとそれを止めているボルトを見ることができる。

 東海道新幹線が開業した1964年。時速200キロを超える高速鉄道は世界最速であったが、そのレール用ネジとして採用されたのが帝国製鋲のものであった。品質で勝ち取った大口受注だが、

「むしろ品質過剰なくらいで、10年くらいでは錆(さ)びません」

 と冗談交じりに鈴木社長。しかし、いまに至る徹底した品質管理が新幹線の運営を支え、安全神話の陰の立役者となったことは間違いない。

半沢がいた支店は

 さて、話は半沢直樹の大阪西支店に戻る。

 実は、この支店にはモデルが存在する。他ならぬ、私がかつて銀行員時代に勤務していた三菱銀行大阪西支店だ。

 入行2年目、いわゆる融資課…

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