負傷から執念の金メダル 平成の三四郎、その信念と気迫
竹園隆浩
それも、返し技を恐れてひざをつく低い掛け方が主流になる中、「高背負い」と呼ばれ、立ったまま相手を腰に乗せ、宙に投げ飛ばす。豪快な技は、柔道の魅力そのものだった。
古賀さんを語るには、24歳で日本選手団主将も務めた1992年バルセロナ・オリンピック(五輪)の逸話は外せない。
現地入りした翌日、左ひざを負傷した。歩くのもままならなかった。
それでも、テーピングでぐるぐる巻きにして左足を引きずりながら、執念で金メダルを獲得した。
靱帯(じんたい)損傷で炎症を起こしたけがは、同じ五輪代表だった吉田秀彦さんと組み合った練習中に起こった。
吉田さんは中学、高校と同じ柔道私塾「講道学舎」で学んだ後輩。実は調子の上向かない吉田さんを奮起させるために、普段ならけがのおそれがあるため、試合前はお互いに組み合わない代表同士の乱取りが行われた。
1本目が終わり、ようやく吉…
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