第5回がれきの街、酒浸りの日々 いとおしい日常に気づくまで

仙台総局・川野由起
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津波で船や家屋が押し流された宮城県気仙沼市の市街地=2011年3月12日午前8時22分、宮城県気仙沼市、小宮路勝撮影

 プシュ。

 枕元に並ぶ350ミリリットルの缶ビール。布団にあぐらをかいて座り、飲む。5口ほどで1缶が空く。

 酔いがまわりだすのは10缶目あたりか。4時間ほどで24缶が空になった。「もうない。うそだべ?」

特集「生きる、未来へ 東日本大震災10年」

 3月11日、発生から10年となる東日本大震災。愛する人を失った悲しみ、住み慣れた土地に戻れない苦しさ……。さまざまな思いを抱え、歩んできた3家族を通して、被災地のこれまでを振り返る。

 東日本大震災から約3年後の宮城県気仙沼市。ヒロシさん(仮名、50)はアルコール依存症で「どん底」にいた。

 梅酒を瓶ごと抱えて飲み干す。除菌スプレーを口に吹きかける。「何やってんだい、馬鹿だなあ」。心の中でつぶやいていた。

申し訳ない、情けない。でも酒をやめられない。いくら飲んでも足りない…。記事の後半では、酒に溺れたヒロシさんが、震災がなければ会えなかった大切な人と出会い、いとおしい日常を取り戻すまでの軌跡をたどります。

 《気仙沼市の死者・行方不明者は1432人。被災住宅は1万5千を超えた》

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宮城県気仙沼市

 消防団員だったヒロシさんは震災翌日から捜索にあたった。津波に流された近所の女性が家の雨どいにぶら下がっているのを見た。

 今度は誰が見つかるんだいな……。

 がれきにまみれた街に出ると手が震えた。コーラに混ぜた焼酎をちびちび飲むと、心が静まった。県内外から来たボランティアと避難所に行き、物資を配ってストーブを置いた。

 沿岸にあった家も、20年働いた工場も流され、両親は嘆いた。街の復興など想像ができなかった。

 両親と仮設住宅に移ると、酒の量が増えた。自分に価値がないように感じた。「俺がしっかりしなければなんねえのに」。友人たちと会うのも避けるようになった。

 申し訳ない、情けない。でも酒をやめられない。いくら飲んでも足りない。

 《2014年3月末までに、市内のがれき198万トンが全て処理された》

 「気分転換に一緒に来ないか」。14年10月、ヒロシさんはボランティアで来ていた知人に、彼の仕事先の山口県へ連れ出された。ただ移動の車でも酒を飲み続け、着いた時はリュックすら持てず、入院した。身長167センチ。体重は30キロ余りになっていた。

 病室で母の顔を思い出した。山口へ行く前、体調が悪く戻ってこられない気がして、気仙沼の自宅で別れた後、母をもう一度近所のコンビニに呼び出した。

 頭を下げて「ありがとう」と言うと、母は「いってらっしゃい」と笑顔をみせつつ、泣きそうだった。もう自分と会えないと思ったのかもしれない。

 リハビリでは、病院の廊下に座って手すりを使う懸垂運動から始めた。体力が戻ってくると、自転車で走り込んだ。「俺が馬鹿だから。みんなに心配かけたから。やりきらなければ」。3カ月で退院し、久々に自宅の玄関を開けた。一瞬、梅酒の瓶を抱える自分の姿が頭をよぎった。両親は笑顔で迎えてくれた。

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退院後にヒロシさんが描いた両親と自分(左)のイラスト

 酒浸りの自分に戻るわけにはいかない。つらい記憶に駆り立てられ、再建された工場で仕事に励んだ。

 約1年後、地元の友人たちに飲み会に誘われた。

 「みんなで、1年たったら呼ぼうと決めて待ってたよ。本来なら今こそ乾杯する時なんだけどな」。そう聞いて涙があふれた。飲み会ではコーラを頼み、車で友人を送るのが習慣になった。

 《宮城県沿岸部は人口10万人あたりのアルコール関連の行政への相談件数が18年度は322・7件。全国平均97・5件の約3倍だ》

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市中心部を見下ろす展望台に立つヒロシさん。かつてここでよく酒を飲んだ=2021年2月17日、宮城県気仙沼市、小玉重隆撮影

 コンビニのくじでお酒があたった時だった。「実はおれ、アル中だった。もう飲む気はないんだけど……」。ヒロシさんは退院後に付き合い始めた彼女に打ち明けた。ボランティアで県外から来た人だった。

 「いまは飲んでないならいいんじゃないですか。いまは別の人なので」。嫌がられるだろうと思っていたのに、あっけらかんと言われた。そう思ってくれるってなんだかいいな。

 20年4月、結婚した。仕事帰りの妻にご飯をつくる。食卓を囲む。日常がうれしく、いとおしい。かつて心の足かせになっていた酒浸りの記憶は、もう自分を締めつけてはいない。

 震災後の支援で知り合った友人がたまに来る。自分とこの街に付き合ってきてくれた。川でともに釣り糸を垂らす。「こんな日が来ると思わなかった」と笑ってくれた。

 震災がなければ酒におぼれなかったかもしれない。でも、震災がなければ会えなかった大切な人もいる。楽しい思い出を少しずつ、増やしたい。(仙台総局・川野由起)

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うつりゆく記憶 東日本大震災10年