自分らしく生きていく、講談師と考えるジェンダー 山口

寺島笑花
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 男だから、女だから――。こんなレッテル貼りにくみせず、これまで男の世界と言われてきた舞台で、自分らしく輝いている女性が山口県内にもいます。8日は、国連が制定した「国際女性デー」。

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 《パン、パパン》

 釈台を打ち鳴らす張り扇の音に合わせて、よどみなく抑揚のある声が響く。鎌倉時代の武家物から生々しい愛憎の物語まで。善人と悪人、勝者と敗者だけでなく一人ひとりの揺れ動く心に光を当てる。めまぐるしく変わる表情は豊かで、ユーモアたっぷりに描く。

 講談師の神田京子さん(43)。昨年2月、東京から家族と山口市に移住し、活動の拠点を置く。生涯で最も多くの女性講談師を輩出した二代目神田山陽の最後の弟子だ。

 講談界に入門したのは22年前。学生時代から古いものにひかれ、バイト代は古典芸能の観劇につぎ込んだ。初めて山陽の舞台を見たのは大学4年の時。幕が開いた瞬間、涙があふれた。

 当時、山陽は89歳。持病を抱え、入院先の病院から高座に上がっていた。何も言わず、ただ2、3分会場を見回す姿に客は泣いたり笑ったり。にじみ出る品格と美しさ。すぐに入門を申し込んだ。

 京子さんによると、山陽は衰退をたどっていた講談界を憂い、「新しい流れを」と女性を弟子にとるようになった。講談では軍記物や世話物など男性目線で描かれた物語が多く読まれる。山陽は母親ら女性目線で物語を捉え直し、再構成して弟子たちに読ませた。

 「姉さん(姉弟子)たちが道を切り開いてくれた。女性講談師の基礎はできていた」。それでも入門当時は「男に負けるな、みたいな意識はあった」と京子さん。女にできるわけない、と思われぬよう、化粧をせずに高座に上がった。無我夢中だった。

 東京を中心に活動する講談協会と日本講談協会に所属する講談師66人のうち、いまや女性は半数超の42人を占める。京子さんも真打ちに昇進してもうすぐ7年。基礎が固まり、自らの個性が出せるようになったと感じる。性差からくる気負いはない。

 「講談の世界に、男も女もない。神田京子というフィルターを通して感じたことを、そのまま伝えるだけです」

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 萩市大島の巻き網3船団約80人の漁師を束ねるのが、「萩大島船団丸」代表の坪内知佳さん(34)だ。漁獲量の低迷など漁業を取り巻く環境が厳しさを増すなか、生産者が加工や販売も担う6次産業化を手がける。

 福井市出身。結婚を機に萩市に移り住んだ。忘年会を手伝った時に知り合った漁師の長岡秀洋さんから、衰退する漁業のコンサルタント業を頼まれた。魚のことは全く分からない素人だったが、漁業の世界に飛び込んだ。

 漁師たちの反発を受け、時に取っ組み合いのけんかもした。「100人いれば100のパターンがあって、二つには分けられないはず。漁師はそれを男と女の真っ二つに分けて考えようとするんです」。当初は、意見が対立すれば「女のくせに」と怒鳴られた。だが、悔しいと思ったことはない。「性別以外に言えることがないから、女のくせにって言うんだと思うんです」

 販路拡大のため、新幹線に乗って単身大阪へ。飛び込み営業で飲食店を回り、料理人らに魚を売り込んだ。ぶつかった漁師たちも信頼を寄せるようになった。

 代表としての役割は、組織を俯瞰(ふかん)して目指すミッションを果たすこと。「それぞれが自分の持ち場で、できることをすればいい。大切なのは双方を認め合うことです」(寺島笑花)

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