涙があふれた10年前 いま、こうして生きている

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越田省吾
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 大切な人、住み慣れた町を一瞬にして奪われたあの日から10年が経ちます。残された人たちは苦悩を抱えながら、互いに支え合い、生きてきました。

 私たちは、家族の歩みをカメラで記録してきました。写真には、それぞれが見つめる「あなた」への思いが詰まっていました。

 宮城県南三陸町で大屋和人さん(42)に出会ったのは震災から約一月半後のことだった。ほとんどの墓石が倒れた霊園に立ち尽くし、天を仰いで号泣する姿に胸が締め付けられた。

 津波で亡くなった祖母の四十九日の法要だった。「やっとお墓に入れてよがったなあ。これからがんばっから見ててけろ」と位牌(いはい)に語りかけ、涙をぬぐった。

 あの日、介護福祉士の仕事が休みだった大屋さんは、誕生日が近い父、及川道男さんへの贈り物を探しに出かけた石巻市で地震にあった。寸断された道路を迂回(うかい)し、地元に戻ったのは日没後。妻と住むアパートより少し低い場所にある、実家周辺の光景に言葉を失った。両親と祖母が暮らす見慣れた家は跡形もなく、オレンジ色のトラクターが1台、転がっていた。避難所で見つけた道男さんに「ばあさんとおっかあ、見てねえか」と聞かれ、事態を悟った。

 祖母の遺体はすぐに近くの漁港で見つかったが、母の行方はその後も分からなかった。自分のことはいつも後回しで、とにかく明るく働き者だった母、よし子さん(当時59)。「体は見つからなかったけど、心はあの世に行っている。俺が死んだら会えるからいいんだ」。消息を気遣ってくれる人には、笑顔でそう返した。

 地震直後、津波に備えて漁船を引き上げに出かける道男さんが、祖母と母に家に残るように伝えたことを、大屋さんは後に知った。漁港から駆け上がった高台で父は、自宅が波にのまれる一部始終を見たという。

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 「俺があのとき、家にいろよ…

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