「わきまえて」が浮かばせた 日本にはびこる暗黙の秩序
森喜朗・元首相の女性蔑視発言の中で「わきまえる」という言葉が注目されている。日本社会に根を張ってきた「わきまえること」は、美徳なのか、それとも因習なのか。
芸人・サンキュータツオさん 男性中心社会の意識の露呈
「わきまえる」の意味として、昨年11月に出た新明解国語辞典(8版)は、「(自分の置かれた立場から言って)すべき事とすべきでない事とのけじめを心得る」と説明し、「限界(時と場所)をわきまえる」「身の程をわきまえない思い上がり」という用例を示しています。
1976年生まれ。漫才コンビ「米粒写経」で活動。大学院で日本語学専攻。著書に「国語辞典の遊び方」など。
私は、国語辞典を版違いも含め230冊ほど持っています。どれも「物の道理を十分に知っている」「よく判断してふるまう」とか「分別のある人」というような、ポジティブな意味が載っています。
大事なのは「他人からあれこれ言われず、自分で判断する」という点。前提になるのは、みなが価値観を共有し、暗黙の秩序を了解していることです。その意味で文脈依存度が高く、極めて日本的な表現で、外国語への翻訳は難しい。いまの言葉なら「空気を読む」ということでしょう。
「分をわきまえる」とか「身の丈に合う」という言い方があります。身分制社会だった江戸時代は、身分によって、明治以降も性別や家柄、学歴などによって、わきまえるべき共通の価値観がありました。いずれの時代も、社会の秩序を保つために必要とされたのです。
記事後半では、ソフトブレーン創業者の宋文洲さんに「わきまえる問題」の根底にあるものを聞いています。
しかし現代社会は、男女や世…
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