被災地女川でサッカーをする意味 迷い、考え、前へ

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編集委員・中小路徹
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 JR女川駅から海に向かうと、かれんな色合いの商店街が現れる。

 その通りを抜けたところに、津波で横倒しにされた旧交番が保存されている。

 2月28日、この遺構を東北サッカーリーグのコバルトーレ女川の選手たちが訪れ、宮城県女川町の観光協会から、町で死者・行方不明者が800人以上となった2011年の東日本大震災の講話を聞いた。

 「この地域でサッカーをする意識を、選手全員に感じてもらうことが大事なので」。今季、主将に就いたMF黒田涼太(30)が、提案者の一人だ。

 黒田は石巻日日新聞社で広告の仕事をする。震災時、新聞発行の危機に直面し、避難所に壁新聞を出した新聞社だ。仙台大から入団したのが13年。まだ更地の町を見て、「サッカーで町のために」という使命感が芽生えた。

 黒田は外回りで地域と広くふれ合う。「家がなくなった人、お子さんを亡くした人にも、『広告を出しませんか』と頼んでお金をいただく。仕事もサッカーも漠然とやってちゃダメだと思うようになりました」

 新しい選手には被災地の実感は湧きにくい。黒田は地元との結びつきが弱くなってはいけないと感じ、提案したのだ。

 震災から10年。町は整備された。選手も入れ替わっていく。

 そしていま、クラブも岐路に立つ。

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