ラグビー・パナGM飯島均の挑戦 W杯の地に込めた計画

野村周平

 10年越しの計画が、ようやく形になりつつある。

 2月28日、埼玉・熊谷ラグビー場。ラグビー・トップリーグ、パナソニック・ワイルドナイツのゼネラルマネジャー(GM)、飯島均(56)は、ワクワクした思いで日野との一戦を見つめていた。

 昨夏、パナソニックは拠点を構える群馬県太田市から、2019年ラグビー・ワールドカップ(W杯)の会場にもなった熊谷市への移転を発表した。それ以来、初の公式戦だった。

 観客は4380人が入ったものの、緊急事態宣言下で飲食の出店は出せなかった。「コロナが収まったら、もっといい雰囲気をつくっていきたい」と、次への意欲を見せる。

 ラグビー場の西側ではパナソニックのクラブハウスが入る管理棟や、レストランなどが入る宿泊棟の建設が進む。施設が完成すれば、この夏には正式な「ホーム」となる。

 飯島は歯にきぬ着せぬ言動で業界内では異端児として知られ、本人も「あまのじゃく」を自認する。そんな飯島がホーム作りに奔走するのは苦しい場面を乗り越えた経験があるからだ。

 現役時代はフランカー。1986年度には大東大の大学選手権初優勝に貢献した。卒業後に進んだ三洋電機ではタイトルにあと一歩届かなかったものの、11年には監督としてチームを初のトップリーグ制覇に導いた。

 だが、その年の春、三洋はパナソニック完全子会社に。数年前から廃部もささやかれていた。飯島はチーム存続のために、監督を辞して本社がある大阪に転勤。「50年後も続けるには、チームの大阪移転しかない」と近畿圏の候補地を歩き回った。大阪移転は立ち消えになったものの、念願がかない、チームはパナソニックとして生き残った。

 「ラグビー部には大きなコストがかかる。存続は大変です。だから、社会になくてはならない存在にならないといけない」

 企業スポーツのラグビーは地域との連携が弱く、試合で優先的に使える専用会場を持つチームは数少ない。来年に始まる新リーグでは、1部12チームに1万5千人規模の本拠スタジアムを3年以内に確保するよう求めているが、厳しい状況は続いている。

 熊谷への移転も、順風満帆だったわけではない。ラグビー場がある熊谷スポーツ文化公園は県の施設。都市公園法では、特定の企業が独占的に使用する施設を造るのは難しかった。そこで、県ラグビー協会が整備や管理を受け持ち、それをパナソニックに賃貸する形を取り入れた。

 布石は打っていた。飯島は16年に県協会の理事になった。3年後のW杯を盛り上げるためだったが、大会後のスタジアム活用も見すえていた。移転検討を求める県議会のラグビー振興議員連盟の後押しも受け、飯島は法的課題の整理と収支計画の策定を進めた。19年3月に県と熊谷市、パナが協定を締結。官民がスクラムを組む基盤を築き上げた。ここまでできたのは、大阪で移転候補地を探した経験も大きかった。

 飯島が考えるのは自チームのことだけではない。8年前には戦力が落ちるにもかかわらず、当時から日本代表の主力だったフッカー堀江翔太やSH田中史朗(現キヤノン)の海外挑戦を後押しした。いつも日本ラグビーの成長を見据えて行動してきた。

 ホームスタジアムでビジネス化を進めれば、今後、公共性を第一とする県や熊谷市とぶつかることもあるかもしれない。「摩擦が起きてもいいんです。私たちがよき前例になればいいじゃないですか」。そう笑い飛ばすのも飯島らしい。

 1年前から野鳥観察を始めた。早朝、寒さが染みる渡良瀬遊水地に足を運ぶ。「鳥は自由でしょう。それにいつもキョロキョロと辺りを見回して、生きるのに必死だ。そこが好きなんだよ」。心地よい場所に安住するつもりはない。

 「楽しくて、ワクワクすることをずっとやりたいでしょ」

 パナソニック、そして日本ラグビーのための行動を止めない。(敬称略)(野村周平)

パナソニック60ー12日野

 パナソニック埼玉県出身のSO山沢拓也が地元で華麗なプレーを見せた。積極的に前に出てくる相手の防御を見極め、巧みにキックを裏に落としてチャンスを作った。後半14分には蹴った球を自ら確保してインゴールへ。「後半はシンプルに戦えた。でも前半のようなマネジメントでは国を代表する試合に出られない」。次のW杯を目指す26歳に満足した様子はなかった。