原発の町、復興に明暗 「公民連携」の女川、福島は模索

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清水康志
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 津波被害と原発事故を引き起こした東日本大震災から10年がたつ。津波で甚大な被害を受けた宮城県女川(おながわ)町は、人口が4割減るなか、新たなまちづくりを「公民連携」で進め、復興モデルとして注目されている。一方、同じ原発立地自治体だった福島県では、原発被災地でコミュニティー再生の模索が続く。

「還暦以上は口出ししない」

 女川町のJR女川駅前から海岸へと続くおしゃれな道沿いに、カフェやクラフトビール店、せっけん工房などが並ぶ商業施設「シーパルピア女川」がある。震災後にかさ上げした町有地に2015年に開業した。隣の物産施設「ハマテラス」と共に復興のシンボルとして、女川観光に欠かせない施設になっている。

 二つの施設は、商工会や町が出資する株式会社「女川みらい創造」が国の補助金で整備し、テナント募集や運営を担う。計36店舗のほぼ半数は被災店舗の再建だが、地元NPOの支援などで住民や出身者、移住者らの新規出店を促し、町外からの出店も受け入れて多彩な店がそろった。

 町では震災前から過疎化が進み、商店街はシャッター通りになっていた。同社の阿部喜英(よしひで)社長(52)は「復旧するだけでは寂れてしまう。新しい店に入ってもらい、『復幸(ふっこう)』を目指した」と力を込める。

 女川町は震災で最大14・8メートルの津波に襲われ、住宅の66・3%が全壊し、当時の人口の8・3%の827人が死亡・行方不明になった。中心部は壊滅し、阿部さんの営む新聞販売所と自宅も流された。「現実と受け止められず、言葉も出なかった」と振り返る。

 不明者の捜索やがれきの片づけが続く中、震災翌月には商工会長の呼びかけで「女川町復興連絡協議会」を設立。これが契機となり、行政と民間が力を合わせて公共サービスを担う「公民連携」による復興が動き始めた。

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