アベベも瀬古も走った「びわ湖」 28日にラストラン

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堀川貴弘
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 国内で継続しているマラソン大会で最も長い歴史がある、びわ湖毎日マラソンが28日の第76回大会で幕を閉じる。終戦の翌年1946年に大阪で産声をあげた大会は、62年に琵琶湖畔にコースを変更して約60年。数々の名レースを生み、何人もの五輪選手が輩出してきた。大会ゆかりの人々に思い出を聞いた。

ファン殺到が「びわ湖」を生んだ

 「びわ湖」の誕生には、60年ローマ、64年東京五輪のマラソンで2連覇を果たしたアベベ・ビキラ(エチオピア)が深く関わっている。

 61年、当時は大阪開催だった毎日マラソンに、アベベが出場した。東京五輪を3年後に控え、“裸足のアベベ”として人気を博した金メダリストを、ひと目見ようと沿道に観衆が殺到したという。

 当時の毎日新聞のスポーツ記者で、「びわ湖」のコース選定にかかわった長岡民男(89)は「ファンが自転車やオートバイでアベベに近づいて取り囲んだ。握手を求めたり、背中に触れたりもした」と振り返る。この騒動が警備にあたった大阪府警のひんしゅくを買い、コースを移転せざるを得なくなった。レースは62年から琵琶湖畔へ。そこから、「びわ湖」の歴史は始まった。

 アベベが次に「びわ湖」を走ったのは65年。東京五輪の翌年だった。2位以下に3分近い差をつけて圧勝。その実力を見せつけた。

 当時、大津市役所に勤めながら大会運営に携わっていた初田(はつだひろむ)弘(75)は皇子山陸上競技場で練習中のアベベの姿を思い出しながら振り返った。「贅肉(ぜいにく)のない本当にきれいな体をしていた。顔が小さくてね。たくさん集まった報道陣の整理を担当しました」。初田はその後も長く大会事務局の仕事を担当した。「例年、マラソンと、その翌週の琵琶湖開きで春の到来を感じていた。マラソンで2時間以上、大津市がテレビに映ることで、遠方にいる人も故郷を思い出す機会になっていたのに……」と寂しそうに話す。

優勝、でも、瀬古は「体も心もつらかった」

 「びわ湖」はシーズンの終盤に行われ、五輪代表選考会の最後のレースになってきた。

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 「『びわ湖』で思い浮かぶこ…

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