原発事故後も向き合えぬリスク いばらの道を抜けるには

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聞き手 編集委員・佐々木英輔
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 さまざまな課題が指摘されていたのに、なぜ原発事故を防げなかったのか。事故後、社会は変わったのか。原子力と社会の関係を研究する寿楽浩太・東京電機大教授は「安全神話」を生んだ構図は変わっていないと指摘します。リスクに向き合う社会のあり方とは。

寿楽浩太さん 東京電機大教授

 東京電力福島第一原発事故では、起きてみれば明らかな不備を社会全体で見過ごしてしまったことに怖さを感じました。原発に批判的な人たちはたくさんいたし、地震や津波のリスクや避難の課題、緊急時対応の制度や計画の問題点などが指摘されていたのに対策に生かせなかった。ほかならぬ自分も見過ごしていました。どうすれば見過ごさないようにできるかに関心を持ってきました。

 しかし、原発の「安全神話」を生んだ日本社会の構図は変わっていないと感じます。分野や立場を超えた風通しのいい議論を通じてリスクと率直に向き合う。みんなで力を合わせて解決策を探る。そういう気風はまだまだ足りません。

【プレミアムA】海から見た被災地

東日本大震災による津波は、陸地だけでなく海の中にも大きな被害をもたらした。大量のがれき、失われた漁場……。豊かな海はこの10年でどう変わったのか。水深35メートルまで潜ってみた。

 安全神話の背後には、狭い国土に人口が密集する日本の国情がありました。発電所の外部に重大な影響を及ぼす事故が起きればおしまいという意識があった。だからこそ事故を「起こさない」安全の考え方に賭けた。でもそれは「事故が起きない」前提に変わってしまった。

 事故が起き、その誤りには皆が気づきました。かといって原発をすぐやめることもできなかった。すると、とにかく厳しい基準で科学的、技術的な最善を尽くせば、事故が起きても福島のようにはならないという新しい「神話」が現れてきました。

 どんなリスクをどこまで受け入れるか、何かあったときにどう救済するか、目指すゴールは何かといった社会全体の議論が足りていません。最善の追求は一見、聞こえはよいですが、終わりのない安全投資の一方で、再稼働はそうは進んでいない。国民負担ばかりが残るかもしれない。福島の廃炉の進め方や「核のごみ」問題にも、同様のことが言えます。

 日本の社会には、科学技術の失敗はあくまでも不備の結果ととらえ、努力して改良することで解決しようとする強い風潮があります。また、悪い結果が起これば失敗、起こらなければそれでいいと結果論で判断されがちです。これは、新型コロナウイルス感染症や熊本豪雨後のダムの議論でも感じます。

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 しかし、それは本当に解決可…

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