暗闇の石巻、助けを待っている人が 医師は腹をくくった

有料記事東日本大震災を語る

聞き手 編集委員・辻外記子
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 東日本大震災で甚大な被害に遭った宮城県石巻市。石巻赤十字病院の第一外科部長だった石井正さん(57)は、地域住民22万人の救護活動を統括しました。いくつもの教訓が後の災害に生かされ、人材育成にもつながっています。「震災はなかったほうがよかった。でも経験値にするしかない」と当時を振り返ります。

 いしい・ただし 1963年東京生まれ。2002年、石巻赤十字病院第一外科部長。11年2月、宮城県から災害医療コーディネーターを委嘱された。

 ――300カ所の避難所にいた約5万人のニーズを把握し、救護したことが語り継がれています。

 2011年3月17日の夜、警察署へ向かう車窓から見た石巻の町を今でもよくおぼえています。停電のため真っ暗。シーンとしていた。まさに町中の何万人もの人が息を潜め、じっと助けを待っていると感じました。

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東日本大震災から3月11日で10年となります。被災地の復興や支援、福島第1原発事故への対応など、様々な分野で思いを寄せる人たちにインタビューしました。 震災の経験は私たちに何を残したのでしょうか。

 「いや、これは大変なことだ」「どうにかしなくちゃいけない」と思ったんです。

 「便りがないのは良い便り」じゃない。「便りがないのは悪い便り」ということなんです。

 「情報がないから何もできません」は通用しない。「向こうから発信できないのではないか」と疑ってかかるべきです。

 連絡がとれないのはやばい。情報はとりにいくことから始めよう、と調査を始めました。

 「情報は自らとりにいけ」。今でも研修会でそう教えています。

 ――それぞれの避難所にいる病人や高齢者の数、水や電気、トイレ、食料の状況など医療に限らず幅広い調査をしました。

 当時、市役所も保健所も大きな被害を受けていました。津波に遭わず、対応できる僕たちができることをすれば、具合が悪い人は減る。そういう思いでした。

 「避難所ごとの状況把握をしよう」と言うと、支援に入っていた医師が「石井ちゃん、海外の難民キャンプでは、こんな調査票で調べているよ」とエクセルで表を作ってくれました。さらに評価をわかりやすくしよう、と◎○△×と記号を書く欄も作りました。

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東日本大震災を語る

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