飛鳥美人、撮影の舞台裏 「あまりにも美しい」その姿に

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岡田匠
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 1972年に奈良県明日香村でみつかった高松塚古墳の極彩色壁画は飛鳥美人ブームを生んだ。赤や黄色の衣装を着た女子群像の写真はどのように撮影されたのか。飛鳥美人をはじめ、すべての壁画を撮影した京都の老舗美術工房「便利堂」が、その舞台裏を近著で明かした。

 壁画がみつかったのは72年3月21日。便利堂に撮影依頼の電話が入り、写真技師だった大八木威男(たけお)さんらが、翌22日午後4時半から8時過ぎまで石室に入って撮影した。2回目の撮影は24日だった。

 大八木さんは初めて撮影したときの様子をこう振り返る。

 石室には「肩幅より少し広い程度の古墳の盗掘口から、四(よ)ツ這(つんば)いになって頭からそっと入り」、人物像を見た時は「あまりにも美しく、あざやかな影像に、しばらく息をのむ思いで黙って見ているだけだった」。

 そのころ、新聞はカラー写真を使い始めたばかりで、壁画の発見を各紙が初めて伝えた27日付の写真はすべて白黒だった。

 朝日新聞が29日付で飛鳥美人のカラー写真をスクープするが、取材が殺到し、「フィルム争奪戦」が繰り広げられていたエピソードを明かしている。

撮影の経緯、後世に伝えるために

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 当時、県の職員として立ち会…

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