なぜ人間が展示されたのか かつて日本でも行われたこと

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増田愛子
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 明治期に撮影された1枚の写真がある。アイヌ、沖縄、朝鮮、清国、そして台湾の先住民族らしき装いの男女が記念写真風に並ぶ。

 1903年、大阪・天王寺で開かれた第5回内国勧業博覧会。場外に登場した民間パビリオン「学術人類館」で「展示」するため、集められた人たちだ。

 内外に威信を示す国家的なイベントで、なぜ人間が展示されたのか。京都市で開催中の展覧会「イッツ・ア・スモールワールド:帝国の祭典と人間の展示」は、その意味を問う。

「イッツ・ア・スモールワールド:帝国の祭典と人間の展示」

28日まで、京都伝統産業ミュージアムで。最終日は、展覧会を企画したキュレーターの小原真史さんと吉田憲司・国立民族学博物館長のトークを配信する。詳細は「KYOTO EXPERIMENT」のホームページ(kyoto-ex.jp)。

 アジアやアフリカの街そのままの建築、ラクダを操る民族衣装の人々――。展覧会の会場には、非西洋諸国の人々を題材とした写真や絵はがきが並ぶ。多くは19世紀後半~20世紀初め、欧米の万博で行われた「人間の展示」をとり上げたものだ。

 時は、列強が海外領土拡大を競った帝国主義時代。西洋と異質な集団を、人類学などの学問の名のもと「遅れた」存在として展示する。そこには、自らの文明の優位性や植民地支配の正当性を示す意義があった。

 展覧会を企画したキュレーターの小原真史(こはらまさし)さんは、そう説明する。「さらに写真や挿絵が、そこで出会った『他者』のステレオタイプを醸成し、広めました」

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