第3回タワマン林立へ 業者と行政も推進 敗れた商店街の理想

有料記事ある商店街の変貌

大鹿靖明
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■ある商店街の変貌(下)

 東京都東日本大震災後の2012年、大地震の際に木造密集住宅地が炎に包まれるとして、延焼を遮断し避難路にも使える幅の大きな道路(特定整備路線)を造ることにした。都内に28区間造る道路の一つに板橋区のハッピーロード大山商店街を通る補助26号線も入っていた。商店街の活性化から始まった街づくりはこの後、大きく変わっていく。

五輪を前に東京大改造が進む。下町の商店街の変貌にその影響を3回の連載で探ります。

 板橋区役所は商店街に対して「事業協力会社を選定する必要がある」と持ちかけ、14年9月、不動産ディベロッパーを集めた簡易プロポーザル型入札を行った。商店街役員や区役所課長らの選考の結果、1位は住友不動産だった。住友は三菱地所三井不動産と違って旧財閥資産の継承に恵まれず、戦後「一つひとつ実績を積み上げてきた会社」(住友律夫広報部長代理)という。再開発では森ビルと双璧をなし、西新宿六本木など37事業に参画。マンション販売は6年連続日本一だ。

 「身の丈開発」とは肌合いが異なる。商店街は14年10月、「45メートル以内の高さ制限や容積率500%以内は変えないでほしい」と申し入れたが、住友は部長名で高度利用ありきではないとしつつ「開発実績で培った経済設計のノウハウを提供します」と回答。次第に食い違いが生じた。

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 この当時の商店街の再開発計…

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