3085人分に「大あっぱれやな」 非核の願いが後押し

有料記事戦後75年特集

新垣卓也 東谷晃平 武田肇 佐々木亮
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 初めて核兵器を非人道的で違法とし、1月22日に発効した核兵器禁止条約核禁条約)は、広島、長崎の被爆者の悲願だった。被爆者が提唱したすべての国に条約参加を求める「ヒバクシャ国際署名」は、世代や国を超えて広がり、条約発効の後押しにもなった。集まった計1370万2345人分は、1月8日、国連に届けられた。

 「姉を原爆で亡くした無念さが原動力でした」。元プロ野球選手の張本勲さん(80)の姉で、広島で被爆した兵庫県加古川市の小林愛子さん(82)は約3年間かけて、3501人分を一人で集めた。県内外の市役所や郵便局、銀行、通りすがりの事業所にも飛び込んで協力を求めた。9割は断られたが諦めなかった。

 被爆当時、国民学校1年。母と張本さんの3人で現在の広島市南区の自宅にいた。崩れた自宅からはい出て九死に一生を得たが、母の全身にはガラス片が突き刺さっていた。4歳違いの姉点子(てんこ)さんは勤労動員先で被爆。全身にやけどを負い、数日後に息を引き取った。優しく、色白でかわいかった自慢の姉。「誰か分からないぐらいに皮膚が焼けて『熱い』とつぶやく姉を、うちわであおぎました」

 戦後、家族で原爆を話題にすることは一切なかった。約20年前、熱心な依頼を受け、小学校で初めて体験を話した。以来、証言を続けている。

 署名活動を始めたのは2018年5月。兵庫県の被爆者団体が、神戸市中心部で丸一日かけて呼びかけても、わずか5人にしか応じてもらえなかったと聞いた。「姉たち多くの人を無差別に殺した核兵器がこの世にあっていいはずがない。それを理解し合えない社会はおかしい」と思った。

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