孫が漫画にした祖父はあの建築家 分離派建築会100年

聞き手・構成 福野聡子
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 なじみが薄い建築史の展覧会をマンガで分かりやすく――。大正時代の若き建築家が起こした日本初の建築運動を紹介する「分離派建築会100年 建築は芸術か?」。京都国立近代美術館のHP上で公開している実録マンガが好評だ(https://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionArchive/2020/440-02.html別ウインドウで開きます)。

 作者は漫画エッセイストのY田Y子さん。実は、分離派建築会のメンバーで後に京都タワーなどを設計した山田守(1894~1966)の孫にあたる。Y田さんにマンガ創作にあたっての思いやこだわりを聞いた。

 ――展覧会は、1920(大正9)年に東京帝国大学(現・東京大学)を卒業する建築家によって結成された「分離派建築会」とそのあゆみを紹介しています。Y田さん作の「マンガで見る!分離派建築会 実録エピソード」には結成の経緯や各メンバーの人となりなどが描かれています。

 建築になじみがない人にも興味や親しみを持っていただけるように考えました。建築家というと、モノが中心になってしまい、人柄が見えにくい。特殊な才能を持った偉人のような描き方をされることもありますが、遺族ということもあり、私たちと同じ生身の人間だと感じてほしいと思いました。「新しい建築を生み出すのだ」という情熱にとりつかれた若者が、わいわい議論しながら目標に向かっていったことを表現しようと心がけました。

 また、分離派建築会については、100年前の時代背景を説明しないと分かりにくいと以前から思っていました。マンガの一話目「疾風怒濤(しっぷうどとう)の結成前夜の巻」では東京帝大の学生たちが始めた運動だったことを描きましたが、当時、大学に入学できる人はごくわずか。今では考えられない格差がある社会だったことを知ってもらいたく、二話目の「追加加入者の巻」では、大工の棟梁(とうりょう)の息子だった山口文象が加入するいきさつを描きました。

 分離派建築会は大学卒の特権的なグループだったとのちに言われたりもするようですが、大正デモクラシーの影響もあったのか、山口のように格差の恩恵を受けていない人も一緒に学び合う気風があったことをぜひ知ってほしいと思いました。

分離派建築会

1920年に東京帝大建築学科の卒業をひかえた同期の6人、石本喜久治、瀧澤眞弓、堀口捨己、森田慶一、矢田茂、山田守で結成。その後、大内秀一郎、蔵田周忠、山口文象が加わり、約8年間、作品展や出版活動を展開した。当時、明治以降に日本に移入された西洋の様式建築が定着していたが、鉄筋コンクリートの登場を背景に自然や美術に着目し、建築のあり方を模索した。

 ――Y田さんの祖父・山田守は曲線が特徴的な個性的な建物で知られ、京都タワーの他にも東京の聖橋(お茶の水)や日本武道館などを設計しました。Y田さんは、山田守を主人公にした「漫画エッセイ」を個人サイトやWEBメディアでも描かれていますね。

 2016年に亡くなった父の遺品の中に、祖母が祖父との思い出を語ったテープを見つけました。

 祖母は1901(明治34)年生まれですが、祖父母の関係は、当時の普通の夫婦とは少し違っていました。祖母は毎日、祖父の建築をめぐる話を何でも聞かされて過ごしたため、晩年には祖父の生涯をすべて記憶し、整然と語れるようになっていたのです。時代背景、建築史、女性史としても興味深く、また、祖母や父も誰かに伝えたいと思っていたように感じました。私自身、ファミリーヒストリーを探っていくのが面白く、夢中になってマンガに描き、ウェブで発信したところ、建築ファンの方を中心に読んで下さる方が増え、今回のマンガの話をいただきました。

 祖父は私が生まれる一カ月前に亡くなったので、どんな人物だったかはざっくりとしか知りませんでした。ただ、建築家なのでいろんな資料も残っていて、テープの内容もあわせると、大胆さと繊細さを兼ね備えた、非常に人間味のある人だったと分かってきました。

 ――今回のマンガでは、どんな資料を参考にされましたか。

 まずは祖母がテープで語っていた雰囲気をベースにしました。祖父は祖母との結婚を決める際、分離派のメンバーに相談を持ちかけたり、マンガにも出てくる東京帝大の構造派の内田祥三先生にも見合い写真を持って相談しに行ったりしています。一般的には、分離派の学生と先生方の対立があったと言われていますが、やりあうことが当時の一種のコミュニケーション。対立する先生にもかわいがってもらったなど、人間関係が密だったのがこの時代の面白い所だなあと思っています。

 また、研究者の方々にもメンバーの人柄が記された資料などをいただき、9人のキャラクターを作りました。豪放磊落(らいらく)と言われることが多かった祖父ですが、議論が白熱したときには場を和ませていたそうで、マンガにもそんなシーンを入れました。

 ――創作で難しかったところは。

 建築家の話ですからそれぞれの建築の魅力を伝えねばならないので、キャラクターを描きつつも、建築物や模型は写真を使い、「虚実ないまぜ」にしたところが難しかったです。

 また、当時デパートで展覧会を開くことは大変斬新な試みだったらしいのですが、私はしばらくその感覚がつかめませんでした。今回、研究者の方々から当時の写真を見せていただき、ようやく雰囲気が分かりました。なので展覧会のシーンも絵で描かず、写真でリアリティーを伝えてみました。

 ――マンガはHPでの公開後、建築の専門学校の副教材に使われたりもしたそうですね。観覧を楽しみにしておられる方にメッセージをお願いします。

 若い世代の方に、当時の若者たちが「我々は起(た)つ」と宣言し、みんなで夢を持って建築を作ろうとしていたことを知ってもらえたらうれしいです。また、大正から昭和初期にかけての建物はとてもチャーミングなのです。ふだん建築になじみのない方でも、海外の美術や社会情勢と建物が、リンクしながら移り変わっていった様子などを楽しんでいただけると思います。

 さらに、今回の展示で気づいたことなのですが、山田守の東京帝大の卒業設計「国際労働協会 側面図」(2月7日まで展示)には、屋根の頂の上に円い形が描かれた跡がうっすら見えているのです。山田の晩年の代表作である日本武道館の特徴、「玉ねぎ」と呼ばれる屋根の頂上の擬宝珠(ぎぼし)に似ています。卒業設計にはその建築家の生涯の作品の原型が表現されることが多いと聞いたことがありますが、まさにそれを見たように思い、驚きました。ぜひ展示で直接、描こうとして消した跡なども、ご覧いただけたらと思います。(聞き手・構成 福野聡子)

 「分離派建築会100年」展は3月7日まで。京都・岡崎公園の京都国立近代美術館(075・761・4111)。月曜休館。

 Y田さんの分離派マンガは一部加筆して冊子化し、混雑緩和策もかねて平日に観覧した希望者に配布している(先着2千人限定で、なくなり次第終了)。

 わいだ・わいこ 漫画エッセイスト。分離派建築会創設メンバーである山田守の孫(四男の長女)。祖父について聞き取りや資料調査を行い、作品化している。建設系WEBメディアで「人はなぜ日本武道館をめざすのか」(https://kensetsutenshokunavi.jp/kensetsu-takumi/entertainment/yy11/別ウインドウで開きます)を連載中で、「番外編」では分離派建築会を取り上げている。山田守の生涯をマンガ化した個人サイトは「50年めの大きな玉ねぎ」(http://yy50tama.com/別ウインドウで開きます)。

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