(聞きたかったこと 広島)一度は逃れ 向き合う

有料記事核といのちを考える

宮崎園子
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 広島県原爆被害者団体協議会という名の被爆者団体は二つある。国内外で証言を続けてきた坪井直さん(95)が理事長を務める方とは別の「もう一つの」被団協理事長、佐久間邦彦さん(76)=広島市西区=に、記憶のない若い被爆者としての歩みを聞いた。

 「あなたも知っておいた方がいい」。中学1年のころ、母静子さん(1998年に86歳で死去)が言った。生後9カ月だった自分の身に起きた出来事を初めて聞かされた。

 爆心地から西に約3キロの己斐(こい)町(現・広島市西区)の自宅で、母が洗濯中に閃光(せんこう)が走った。外を見たが変わった様子はない。念のため、幼い邦彦さんを背負い、裏山に逃げる途中に黒い雨を浴びた。姉2人は祖母と山口県に疎開中。父は、爆心地の4キロ南西の勤務先にいたが事業所の確認のため市内に入った――。

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 幼い頃の記憶がよみがえった…

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