「ゴーンは変わってしまった」。日産自動車の元会長カルロス・ゴーン被告(66)を長年にわたって支えた2人の最高幹部が、法廷で口をそろえて証言した。「カリスマ」から「絶対君主」になったという節目は何だったのか。一番近くにいて、それを食い止められなかった悔悟はあるのか――。
昨秋から続く元代表取締役グレッグ・ケリー被告(64)の裁判。年が明けた今月12、13日、当時の「首脳」である志賀俊之・元COO(最高執行責任者、67)と小枝至・元相談役名誉会長(79)が相次いで出廷した。小枝氏は2003~08年、志賀氏は05~15年に、それぞれゴーン元会長と一緒に代表取締役を務めた。ともに経済同友会の副代表幹事も経験した財界の大物の登場は、海外を含む多くのメディアの注目を集めた。
「私は日産で最初にゴーンに会った人間でした」
こう振り返ったのは志賀氏だ。1998年秋、秘密裏に進んでいた日産と仏ルノーの資本提携交渉の中で、ルノー側から紹介されたのが最初だったという。
99年に日産のCOOに就いたゴーン元会長は、大規模なリストラを伴う「リバイバルプラン」を発表し、2年での黒字化を打ち出した。赤字続きだった日産は00年度、過去最高となる純利益3311億円を達成し、ゴーン元会長は01年にCEO(最高経営責任者)になった。当時のゴーン元会長について、現在は官民ファンドINCJ(旧産業革新機構)の会長を務める志賀氏は「経営者として深く尊敬していた」と語った。
このころのゴーン元会長については、小枝氏も公判で「大変勉強家で、人の意見もよく採り入れてくれた」「真面目に努力する人だった」と述べた。日本人社員の名前を懸命に覚え、多くの事業所に足を運んでいたのが印象的で、「その結果が日産のV字回復だった」と評価した。
同時に小枝氏は、この成功が後のゴーン元会長の変節の原点だという見方を示した。日産の復活劇で「カリスマ経営者」として脚光を浴びた。小枝氏は、元会長が04年に外国人経営者として初めて藍綬褒章を受けたことなどに触れ、「時間の経過とともに自信過剰になっていった」と振り返った。
ゴーン元会長が変化する大き…
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