復興事業に託したはずの未来…10年目、想定外の姿に

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岡本進 東野真和 山浦正敬
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 都市を襲った阪神・淡路大震災と違い、東日本大震災で被災した土地の多くは過疎地だった。巨費を投じて頑丈にしたにもかかわらず、被災地では震災前からの人口減や空洞化がむしろ加速している。復興の過程で何があったのか。

 東日本大震災から、ちょうど1カ月後。被災した宮城県石巻市に職員8人の特命チームが設けられた。

 市全体の復興計画を担う復興対策室だ。市内では当時、住まいを失った5万人が学校の体育館などで避難生活を強いられていた。室長に就いた星雅俊さん(66)は対応に追われながらも、「地方都市が抱える課題を、復興とともに一気に解決したい」と思った。

 石巻は江戸時代に東北と江戸を結ぶ海運で栄えた、仙台市に次ぐ県内第2の都市だ。だが、昭和時代の終わりに19万人近かった人口は当時、16万人まで減少。JR石巻駅前の中心部は、ほかの過疎地と同様にシャッター街と化していた。

 市は当初、復興に合わせて、震災前からの中心部の空き地に住宅を建て、人を呼び込もうと模索した。近くを流れる旧北上川を生かし、川沿いを大規模に盛り土し、新たな街を築こうという案もあった。

 だが、いまは市議になった星さんは言う。

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 「先進モデルの街を築きたか…

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