「史跡級」の古代壁画、保存か復興か 決断迫られた町長

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申知仁
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 東日本大震災の津波で大な被害を受けた宮城県山元(やまもと)町。復興事業が進むなか、町の遺跡から2015年に、「史跡級」の貴重な古代壁画が見つかった。復興か、壁画保存か。被災地に突きつけられた難問に、町長は決断を下す。前例のないプロジェクトが動き出した。=敬称略

 「当時の人々が死後の世界を想像して描いたものではないか」

 常磐自動車道の山元ICから、車で約5分の山元町役場のそばに立つ、町歴史民俗資料館の一室。古墳時代考古学を研究する東北学院大の辻秀人教授(70)がそう指摘する、「合戦原遺跡38号横穴墓『線刻壁画』」が展示されている。

 短い線で目と口を表現した、人の姿や2本脚の鳥、家屋の骨組み、葉――。砂岩質の岩の壁(幅3・6メートル、高さ1・7メートル)に様々なものが描かれている。

 とがった道具で壁に模様を刻んだ「線刻画」で、時の有力者を埋葬する「横穴墓」の壁に刻まれていたものだ。

 この壁画が描かれた時期は、飛鳥~奈良時代の7世紀後半~8世紀前半と推定されている。朝廷が律令をもとに国家の基礎を固め、東北を拠点としていた「蝦夷(えみし)」への支配を強めようとしていた時代だ。

 副葬品として、金銅の装飾が付いた鉄製の大刀や勾玉・切子玉、銅製の壺鐙(つぼあぶみ)や花形杏葉(ぎょうよう)(いずれも馬具の一種)などが見つかった。

 まだ十分な研究は進んでいないが、合戦原遺跡が、朝廷と蝦夷とがせめぎあう時代の東北地方の実態を調べる上で、非常に重要な手がかりになるという。

 遺跡を視察した文化庁の担当者が「国の史跡に指定する価値がある」と太鼓判を押したほどの貴重な文化財だ。

 この壁画は、町教育委員会で遺跡発掘を担当する山田隆博(40)らが、町中部にある合戦原遺跡で2015年に発見した。東日本大震災で大きな被害を受けた町が、一歩ずつ復興の道のりを歩んでいたころだ。

 県沿岸部の最南端に位置する人口約1万2千人の山元町は、震災で高さ約10メートルの津波に襲われた。町民の半数以上が住んでいた海側の地域(約24平方キロメートル)が浸水し、関連死を含めて、637人(19年10月時点)が亡くなった。

 最優先すべき震災からの復興と、貴重な壁画の保存。二つの課題を抱えた町は難しい決断を迫られた。

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■暗い横穴墓の中、目が合った…

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