第3回「せめて今晩は一緒に」 妊婦の傍らに土まみれの女の子

有料記事そこに光が

後藤遼太 遠藤美波
【動画】私は何をすべきか。「あの日生まれ」を背負って=動画制作・西田堅一 (※記事後半の動画では、26年を経た今の思いや心の変化をお伝えします)
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 夜明け前、激しい揺れに目を覚ました。

 マンションのベランダに飛び出して見下ろすと、あかり一つない街は暗闇に沈んでいた。

 丘の上にある勤め先の病院を見上げた。

 窓から照明が漏れ、灯台のように見えた。26歳の阿部さつきさんは、一人でいる心細さに耐えかね坂を駆け上がった。

 病院の寮が崩れ、私服姿の同僚たちが学生を助け出そうと走り回っている。

 待合室では何人もが床に横たわり、廊下でうずくまる患者もいる。どこかから悲鳴が聞こえてきた。

 午前9時、燃料を使い果たした自家発電機が止まった。担当する産婦人科の病棟では、赤ちゃんの心音を聞く機械が使えなくなった。ナースコールが鳴らず、妊婦がいる部屋を一つひとつ見て回った。

 日が傾き、廊下の隅が暗くなりはじめていたころ、2人の妊婦が産気づいた。

 「あかりがつかへんかったら、どうするんや」。焦りが募った。

 病院内が闇に包まれる直前だっただろうか。蛍光灯が一斉についた。

 「ついた!」。顔を白く照らされた人びとから、歓声が上がった。

 待っていたかのように、分娩(ぶんべん)室代わりの小部屋で妊婦が子どもを産んだ。2900グラムほどの女の子。阿部さんが抱き上げると、口を震わせて大きな産声を上げた。廊下で拍手が響いた。「よかった」「生まれたんやねえ」と声が聞こえた。

 次に回った部屋。ベッドに横たわる妊婦の傍らで、夫が幼稚園児くらいの女の子を抱いて立っていた。

病院から産声が上がったあの日は、多くの人の命が失われた日でもありました。

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 女の子の顔をのぞき込むと…

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