1万人通った日本初の保育園…同じ場所で今も子孫が守る
日本初とされる保育園が新潟市にある。その歴史は130年前の明治時代までさかのぼる。それは、国の方針に反してでも貧しい子どもらに手を差しのべようとした、ある夫婦の熱意のたまものだった。
《わが国で最初の託児所をつくり、貧しい子どもたちを幼い兄弟の子守りから解放し、勉学の道を開いた》
2018年の保育士試験に出た問題文だ。選択肢の中から選ぶべき該当人物の名は「赤沢鍾美(あつとみ)」。1890(明治23)年、赤沢の“託児所”が新潟市にできた。
それは、信濃川の河口近く、「新潟島」とも呼ばれる旧市街にうまれた。
赤沢は、自ら開いた私塾「新潟静修学校」の教師だった。明治政府の学制発布で各地に小学校ができたが、通えるのは裕福な家の子弟ばかり。そこで、貧しい子ども向けに塾を開くと、すぐに問題が起きた。塾で学ぶ子は幼い弟妹や奉公先の子らの世話も任されており、授業の終わりを待つ幼児の群れが教室外にできたのだ。
「此(こ)の可愛さうな有様見るに忍びず」。赤沢は後年、その様子を書き記している。見かねた妻ナカが幼児を世話し、食事を与え、寒い日には足袋もこしらえてやった。赤沢の託児所はこうして、私塾に通う子の勉学を助ける形で生まれた。
悩んだ末に覚悟決めて
《我邦に於(お)ける幼児保育事業の始めは(中略)、新潟市静修学校内に於て貧困者の幼児の保育を開始したるもの之(こ)れなり》。日本保育学会が著した「日本幼児保育史」は、大正末期の内務省(当時)の記録を紹介している。同書の編者の1人、愛知県立大の宍戸健夫名誉教授(保育学)は「静修学校の託児所が、今で言う保育園のはじまりだった」と話す。
ところが赤沢は、当時の保育…
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