第2回原発事故が招いた分断 問われる報道の役割 堀潤さん

有料記事私は忘れない

聞き手・構成 小森敦司
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 原発事故や戦争被害、人権侵害、差別といった問題について、知らぬふりはできない、だから伝える。この人に与えられた使命なのでしょうか。元NHKアナウンサーの堀潤さん。東京電力福島第一原発事故をめぐるNHKの報道姿勢に疑問を抱き退局、フリーのジャーナリストに。自らカメラを回し、原発事故に翻弄(ほんろう)される人々を追った映画や、国内外の社会問題に迫った映画を制作。ここに、こんな「分断」がある、と世に問いかけています。

 ――東電の原発事故直後、自身のツイッターアカウントで関連情報を次々と伝えましたね。

【連載】私は忘れない

 私は忘れない――東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から2021年3月で10年。いまもなお、多くの人が避難を強いられ、汚染水の問題も残り、廃炉に向けた長期作業が続きます。なのに、何事もなかったかのように、大量の電気を使う暮らしを変えず、成長を追い求めていいのでしょうか。原発事故に絡んで発信を続ける著名人に、改めて、その「思い」を聞きます。

 「事故の直前、福島の農業を取材していたんです。だから、あの山の中で人が震えている、必死に体育館に逃げた人がいる、テレビは見られないだろう、とイメージがわいて。それで、もしも携帯電話の電波がつながるならば、とNHKの心ある先輩が伝えた『深刻な災害の恐れがあるから、窓を閉めて』といった情報をツイートしていったんです」

 ――情報公開の遅さや事故原因についてもツイートで踏み込みました。それでNHK内部で問題になった。

 「取材した内容を放送で出せないならツイッターで出せばいいと。NHKを信じてくれている多くの人たちのためにも、実際はこうなんだと伝えないといけないという思いでした。でも、局内でだんだんと『出してくれるな』と。上司と衝突もしました」

 ――そんな中、NHK内の制度を利用して米国ロサンゼルスへ留学に行かれましたね。

 「市民と連携してニュースを出すメディアのあり方を模索していたので、いいチャンスと。行ってみて、ロス近郊の実験用原子炉で50年ほど前にあった事故に行き着いたんです。

 地域住民が健康被害を訴えていたのです。福島の50年後を考える大切なケースだと思って取材を始めました。しかし、局側は、米国政府が因果関係がわからないと言っているなら放送できないと。そんなのありえないじゃないですかと対立して……」

 ――そのことが退局につながる?

 「僕は学生時代、ドイツなどのプロパガンダ(政治宣伝)を研究しました。知ったのに出さないのは、戦中、大本営発表に組み込まれていく当時のメディアと同じだと思いました。

 (従わないと)左遷されるから、『分かりました』と言うのはアイデンティティーの崩壊にもつながりかねない話です。まあ、クラウドファンディングの仕組みも立ち上がるような時期で、NHKを辞めてもお金はなんとかなるかなと」

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 ――退局後も、取材を続けら…

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