「ひとを傷つけない笑い」とレッテル 漫才にも同調圧力
デマやフェイクニュースが飛び交い、だまされることに誰もが戦々恐々とする今日、私たちは「噓」とどう付き合っていけばいいのでしょう。虚実入り交じる落語や漫才をヒントに、学者芸人・サンキュータツオさんと考えます。
――落語における「噓(うそ)」とは何でしょうか
誇張やデフォルメ、比喩表現、見立て。ものすごいけちやお金持ち、もてる人、お酒好きな人といったキャラクターが肉付けされたり、話の展開としてこうなってほしいという願望がそのまま語られたりする。ただし、根も葉もないわけではなく、ベースには本当のことがある。
言ってみれば、面白いフェイクニュース。お客さんもそうとわかった上で笑えるし、フェイクとしてウケればその場で終わり。ただ最近はしゃれが通じなくなってる人もいて、本気でまじめに受け取られてしまう。落語は言葉の奥行きを味わう芸だけど、その行間が伝わりにくくなっている。
例えば、古典落語には差別用語も出てくるけど、このごろは「えっ、それ言って大丈夫なの」って、ちょっと客席が息をのむ瞬間がある。「めくら」を「目の見えない人」とすれば世界観がくずれてしまうし、師匠に習った昔ながらのスタンダードを守る覚悟の人もいる一方、不愉快、不謹慎と言われるのであればやらないという選択肢もある。
「芝浜」では一時期、酒飲みの男が女房を殴ろうとする演出がありました。最近は客が気になってしまっては元も子もないと、そのしぐさを避ける噺(はなし)家もいる。吉原や花魁(おいらん)の絡む演目は、「女性の多くいる所ではかけられないね」なんて話も聞く。ただ、現代の感覚で全てをはかると、時代の空気感がわからなくなると心配しています。
ここ数年、SNSの発達によ…
【お得なキャンペーン中】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら