「普通」が人によって違う雑煮 鳥取の甘い味の謎を追う

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宮城奈々
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 関東出身の記者は鳥取で過ごす初めての冬を迎えた一昨年、知人と正月の話題をしたときに驚いた。雑煮はすまし(しょうゆ)か、みそかと思っていたところが、なんと、鳥取では小豆の雑煮が主流だという。甘党としてはたまらないが、それってぜんざいと一体何が違うの? 鳥取の小豆雑煮をめぐるなぞを追いかけた。

 県中部・倉吉市の白壁土蔵群にある餅料理を楽しめる店に向かった。創業100年を超える老舗の餅屋が、約20年前に開いた「町屋 清水庵(せいすいあん)」。この辺りでは正月にとち餅を使った小豆雑煮を食べる風習があると聞く。

 メニューを開くと「とち餅入りぜんざい」がある。社長の清水将太さん(34)に聞くと、「『ぜんざい』として通年で出しているんです」。

 やはり、「小豆雑煮=ぜんざい」ではないか? ただ味は最高で、いったん箸を付けると、箸はどんどん進み、小豆雑煮の謎もしばし忘れた。

 とち餅はとろっとしていて、甘い小豆汁によく合う。小鉢の塩昆布は、甘みをよく引き立てた。

学芸員に聞いてみると

 清水さんに再び聞いた。小豆雑煮ってぜんざいのことですか? 「正月にも同じぜんざいを食べる習慣がある。でも、年配の方を中心に、正月に食べるときは雑煮と呼んでいます」

 ルーツを探るため、民俗学を専門とする鳥取県立博物館の学芸員・福代宏さん(52)のもとを訪ねた。福代さんによると、県内の小豆雑煮の文化の始まりは遅くとも江戸末期までさかのぼるそうだ。雑煮はかつて「祭りなどの特別な日に食べるもの」とされてきたという。正月に食べる文化が定着したのは江戸時代。武家のしきたりが次第に庶民にも定着したそうだ。

 江戸末期の1859(安政6)年に書かれたとされる「汗入郡(あせりごおり)大庄屋門脇家年中(ねんちゅう)仕来(しきたり)記録控」には「元日朝、小豆雑煮」という記述がある。汗入郡は現在の大山町にあたり、門脇家は屋敷が国の重要文化財にも指定されている、同町所子(ところご)のかつての大庄屋だ。庄屋に定着していることから、庶民の間でも正月に小豆雑煮が食べられていたことが読み取れるという。

アンケートしてみると

 福代さんら県歴史民俗資料館等連絡協議会は1992年度、県内の家庭に雑煮に関するアンケートを実施した。約400世帯から得た回答によると、すべての家庭でもちは西日本に多い丸もちを使うという結果に。一方、汁はみそ・すまし・小豆の三つに分かれた。

 中でも小豆は全回答の約半数にのぼり、福部村(現・鳥取市)、赤碕町(同・琴浦町)など、沿岸部を中心に支持されていることがわかった。山間部の八東町(同・八頭町)や若桜町ではみそ味が多数派を占め、関西の影響を感じさせた。

 ただ、なぜ小豆なのかについて書かれたものは見つかっていないという。福代さんはその理由を「しゅうとめから嫁へというように、家庭内のしきたりは口頭で伝えることが多く、わざわざ書き残す人はまれ。家庭内の事情は閉鎖的でもあり、記録に残りにくい」と分析する。

 鳥取市出身の福代さん自身も、小豆雑煮が「雑煮のスタンダード」と思いながら育ったという。「島根県出雲大社でふるまわれた『神在(じんざい)もち』に由来して、ぜんざい発祥の地とも言われる。おとなりの影響があったのかもしれない」

「お雑煮研究家」に聞いてみると

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 全国の雑煮文化に精通し、「…

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