第4回「虎ノ門GHQ」が東電に介入 さらに社長が無神経発言

有料記事東電「国有化」の実像 原発事故から10年

大津智義 編集委員・大月規義
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 首相官邸や霞が関の官庁街に連なる東京・虎ノ門の共同通信会館。アメリカ大使館の向かいに位置するこの9階建てビルの5階に当時の「原子力損害賠償支援機構」は本部を構えている。いまは、廃炉を支援する役割も担い、「原子力損害賠償・廃炉等支援機構」という。

 機構は2011年9月に発足した。賠償費用を肩代わりするだけでなく、東電に徹底したコスト削減や改革を迫り、賠償費用の返済に向けた再建計画をつくる役割が期待されていた。東電に身を切る改革を実行させ、公的資金による東電救済への批判をかわす狙いもあった。

 東電からみれば、機構は国から送り込まれた「進駐軍」そのものだった。当時、東電社員たちは機構を「虎ノ門GHQ」と呼んだ。東京・内幸町の東電本店にいる東電の「天皇」とも言われた会長の勝俣恒久に対し、「虎ノ門GHQ」の「マッカーサー元帥」にあたるのは、経済産業省から機構に理事として出向していた嶋田隆だった。その後、東電の取締役として改革を主導し、経産次官になる人物だ。

 当時の民主党政権幹部や嶋田らは東電を本気で改革するなら、国が経営権を握るぐらいの勢いでやらないといけないとみていた。その必要性は、一足先に進んでいた政府の「東京電力に関する経営・財務調査委員会」による財務調査でも明らかだった。

国は、原発事故の賠償責任を東京電力に負わせつつ、東電が破綻(はたん)しないよう、原子力損害賠償支援機構(当時)という組織を通じて裏から公的資金で支える仕組みを整えました。ところが、機構を介して見えてきたのは、東電が賠償金の立て替えだけでは救えないほど危機的な財務状況にあるという実態でした。

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