第1回「原発事故、起こるべくして起きた」東電元エースの告白

有料記事東電「国有化」の実像 原発事故から10年

大津智義 グラフィック・小倉誼之
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 かつて東京電力の中堅社員として幹部候補の一人と目されていた50代の男性が、東電福島第一原発事故から10年近くを経て、初めて取材に応じた。男性は待ち合わせの都内のホテルの喫茶店にスーツ姿で現れ、落ち着いた口調で語りはじめた。

未曽有の原発事故から3月で10年になります。東電の関係者への取材などをもとに、当時の状況を振り返り、事故処理を担う東電の現状や抱える問題を6回シリーズで考えます。ただ、勝俣恒久・元会長ら取材に応じてもらえなかった関係者もいました。

 「今思えば、あの事故は起こるべくして起きた。すべて過去とつながっていて、東電はそこに向けてずっと進んでいたんです」

 男性はバブル期に入社してから、ほぼ一貫して企画部に在籍していた。企画部は経営計画づくりや国との交渉などを担う東電の司令塔。そこで順調に出世街道を歩んでいた男性の人生もまた、あの日を境に大きく変わってしまった。

 2011年3月11日午後2時46分。大きな揺れを受け、福島第一原発では、運転中だった1~3号機の原子炉が緊急停止した。男性は当時、東京・内幸町にある本店9階でいつも通り仕事をしていた。大きな揺れを感じ、すぐにテレビをつけて震源地が三陸沖であることを知る。しばらくすると、原発が無事に停止したとの報告が入った。「これで大きな影響はないだろう」。しかし、本当の危機がやってきたのは地震発生から約50分後だった。原発敷地内に最大15・5メートルの高さの津波が押し寄せ、配電盤や非常用発電機が水没。1~3号機は全交流電源を喪失した。

 その後、男性が次々と目の当たりにした光景は、東電の中枢にあって全く想定していない事態だった。翌12日午後に1号機の原子炉建屋水素爆発し、14日午前に3号機、15日午前に4号機の原子炉建屋が相次いで吹き飛んだ。1~3号機がメルトダウン炉心溶融)する未曽有の原発事故となった。

 3カ月後、政府などの調査とは別に、東電は自らも「福島原子力事故調査委員会」を立ち上げ、事故の究明に乗り出した。計画停電の対応などに忙殺されていた男性は、上司から調査報告書をとりまとめるよう命じられた。しかし、調査は事故の経過や現場で起きていた事実の積み上げに多くの時間が割かれ、肝心の事故原因の分析になかなか進まない。男性が報告書の原案で事故原因に触れようとすると、会長の勝俣恒久ら経営陣からは厳しい言葉が飛んできた。

 「事実に立脚していないことは書く必要はない」

 「なんでお前が勝手に決めるんだ」

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 男性は「事故は天災で防ぎよ…

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