第3回中絶に悩む女子学生へ 養子の息子が伝えた命への思い

有料記事ひととき ことば考

北村有樹子
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 まだ東日本大震災の緊張が続く2011年4月、兵庫県三木市の東中香代さん(73)のもとに、民間団体「小さないのちを守る会」から1本の電話がかかってきた。

 会は中絶に悩む人を支援し、養子のあっせんなどの活動を行うキリスト教系の団体で、夫婦で長らく細々と寄付を続けていた。

朝日新聞には70年前に始まった女性投稿欄「ひととき」があります。心に残る投稿者を訪ねてみると、さらに続く物語がありました。

 聞けば、大阪の女子学生Kさんが、望まぬ妊娠で中絶を考えているとのこと。若いKさんは将来や、家族にどう思われるかなどを、一人で深く悩んで追い詰められていた。Kさんに寄り添い、話を聞き、できれば子どもの命を救う選択をしてもらえないか――。それが会からの依頼の内容だった。

 実は香代さんの長男、閲哉(えっさい)さん(32)は、生後1週間のときに迎えた養子だ。

 30代半ば。最初の結婚に破れ、離婚した香代さんに、子宮筋腫が見つかった。やむなく子宮を摘出することになり、子どもを産むことができなくなった。

 仕事に打ち込む中、後に夫となる喜彦さん(74)と、知人を通じ知り合った。結婚歴があり、小学生の女の子がいるという。写真を見せてもらうと、娘の運動会で真っ赤なハイビスカス柄のワンピースを着て仮装していた。「娘思いのいい人だ」と心ひかれた。そして何より、子どもを育てられるチャンスだと考えた。

 1986年に結婚。娘に愛情を注ぎながら、さらに、親元で暮らせない子どもがいるなら育てたいね、と話し合い、季節里親をするなどして養護施設などに養子縁組の希望を伝えてきた。

 そして、88年12月下旬。知人づてに急きょ、男児を養子にしてもらえないかとの連絡が電話で入った。

 生まれたばかりで、母親は事情があって育てられないという。受話器を片手に喜彦さんに伝えると、背景などをまったく聞かず「私たちで育てよう」とすぐに言ってくれた。

 小さな閲哉さんを初めて抱いたとき、落とさないようにと緊張で震えた。真冬の夜中、2~3時間おきのミルクとオムツ替えに追われたが、自分を必要とする存在と向き合える喜びでいっぱいになった。

 それから20年余り。途方に暮れるKさんを自宅に迎えた香代さんは、語りかけた。

 「私たちがあなたと子どもを守る。産んだら私たちが育てる」「場合によっては子どもを求めているカップルとの養子縁組という道もある」。何度か通ってきたKさんに中絶を思いとどまるよう説得を続けたが、なかなか首を縦には振ってもらえなかった。

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 そんなとき、閲哉さんにKさ…

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