凸型機関車終点へ SLの「敵」、晩年も大仕事の60年

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臼井昭仁
【動画】引退を迎えるディーゼル機関車、DD51型=臼井昭仁、岩下毅撮影
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 どこかの町の沿線で見かけた記憶はないだろうか。朱色で凸型のディーゼル機関車「DD51形」。1960年代の高度成長期に誕生し、蒸気機関車(SL)に取って代わり、北から南、地方の鉄路で客車も貨車も引っぱってきた。大半が引退し、唯一残っていた現役車両も来年春に退く。昭和から令和まで働き続け、晩年まで輝いた機関車に記者が同乗した。(臼井昭仁)

DD51形 軽油を燃料とするディーゼル機関車。朱色をベースにし運転台が中央にある「凸型」車体が特徴。運転台には前後二つの運転席がある。1962(昭和37)年から78(同53)年に約650両造られ、主に電化されていない路線を運行。寝台特急「北斗星」(上野―札幌)など数々の名車を引っ張った。

 エンジンがうなりを上げると、5畳ほどの運転台が小刻みに揺れる。煙突から吐く白い煙が見え、油のにおいが鼻をつく。冷え込みが本格化した師走のある日、名古屋近郊のJR貨物・稲沢駅(愛知県稲沢市)で回送中の51の運転台に同乗した。1973(昭和48)年製で走行距離は220万キロを超える。

 ブシュー、キーッガタン、ピー、グオングオン……。ブレーキを緩める音に線路との摩擦、汽笛、エンジンと様々な音が交差する。

 「速度がもっと上がればこんなもんじゃない。うるさくて無線も聞こえないぐらい」。案内役の主任運転士・今川由一さん(59)はそう説明した。

定期運用あと3両

 天井にはすすけた扇風機。自動車用のエアコンも改造して取り付けているが、「夏は暑いし、冬はすきま風が入る。乗り心地? そんなのわかるでしょ」と苦笑する。

 JR貨物が保有している現役の51は現在、稲沢の愛知機関区にある6両だけ。うち輸送で定期運用しているのは3両だ。稲沢から関西線四日市駅三重県四日市市)を1日3往復、名古屋貨物ターミナル駅(名古屋市)を1日1往復して、石油類や化学工業品、部品、食料を運んでいる。

DD51の「デビュー」時の評判は決していいものばかりではありませんでした。記事の後半では、次第にディーゼル機関車の主役となり、晩年に特別な役割を果たした場面を関係者の証言でふり返ります。

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 51は来年3月のダイヤ改定

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