いつか終わる手厚い支援 「東日本大震災は特別は甘え」

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聞き手・徳島慎也 編集委員・石橋英昭
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 2万人を超える犠牲者を出した東日本大震災から、まもなく10年を迎える。巨大な津波に襲われた被災地は、復興に向かってどう歩んできたのか。犠牲者が最も多い宮城県で、発生時から知事を務める村井嘉浩氏に質問をぶつけた。危機を乗り越え、思い描いた復興につなげることができましたか――。

 1960年、大阪府出身。自衛隊のヘリ操縦士、松下政経塾を経て、自衛隊で勤務した宮城県で県議に。05年知事選で初当選、現在4期目。

 ――来年3月で震災から10年になります。復興政策をどう総括しますか。

 「阪神・淡路大震災(1995年)と比較したら、びっくりするくらい特別な支援をしてもらいました。ただ、立場によって見方は変わると思います。被災者の立場からは『まだまだやってほしかった』、私の立場からは『非常によくやってくれた』、国の立場からは『税金を使いすぎた』、となると思います」

 ――税金の使いすぎ、ですか?

 「国から見たら、やはり非常にぜいたくに見えるんじゃないですか。三陸縦貫自動車道を、一気に岩手まで引っぱってくれました。私が生きている間に行くなんて思っていませんでした。それが9年、10年で。防潮堤もそうです。国の財務省の目線で見ると、非常にぜいたくに見えるかもしれません。ただ、我々からすると、必要な財源で、必要なものをやりました」

 ――残された課題は何ですか。

 「ソフト面の支援です。心のケアが必要な人には個人差があり、個別の対応が求められます。災害公営住宅でのコミュニティーづくり、人材の確保や販路開拓、子どもの不登校率の高止まりなど、課題が積み残っています。市町村やNPOと一緒に、一つ一つ取り組んでいくしかありません」

 「私は、自分で立ち上がるお手伝いをするのが、被災者支援だと思っています。その最低限の支援を税金で賄っていただくのがあるべき姿です。震災から10年経つわけですから、もう自分で立ち上がらないといけないと思います。一人ひとりが自分の力で立ち上がる。足りない部分を行政が補う。これが公平な社会だと思います」

 ――菅義偉首相の「自助・共助・公助」と同じじゃないですか。

 「似ていると思いますね。あの考えを聞いて、なるほどと思いました」

ハード面の復興を急いだ村井知事。各地で高さ10メートル前後の巨大な防潮堤ができましたが、進め方が強引だったという批判も。記事の後半では、当時の苦悩と決断の背景を語ります。

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 ――ただ、「まずは自助」を…

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