去りゆくサッカー選手との「約束」 守るため彼は選んだ

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清水寿之 堤之剛
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 新型コロナウイルスの話題で街が覆われ始めた今春、天野春果さん(49)は旧知の仲間と食事に出かけた。相手は、サッカーJ1川崎で18年にわたってプレーするMF中村憲剛選手(40)。「向こうから『直接話がしたい』と言われた。ただ事ではないと思った」。その場で今季限りでの引退を告げられた。公表の半年以上前だった。

 天野さんは長年、川崎のプロモーションを主導してきた。中村選手が大卒新人のころからの付き合いだ。中村選手が大黒柱になってからは、バナナのかぶり物をさせたり、着ぐるみ姿で子ども向けのテレビ番組に出演させたり。型破りな手法を次々と打ち出し、クラブをリーグ屈指の人気へ押し上げた。

 2011年の東日本大震災では、津波で教材が流された岩手県陸前高田市の小学生たちの助けになればと、クラブがつくった算数ドリルを現地へ届けた。少しでも子どもたちに喜んでもらいたくて、表紙に写真が使われている中村選手にサインを頼んだ。

 「現地へ行けなくて申し訳ない」と応じた中村選手。一晩で800冊にサインを書き入れた。「サッカーをすること以外にも、プロサッカー選手としての価値があることを教わった。地域の人と関わってクラブの存在を広めていこうという考えも天野さんからの影響」と話す。

 天野さんは16年を区切りにクラブを離れることになった。東京五輪パラリンピックの組織委員会で働くためだ。元々スポーツの仕事を志したのは、米国留学中の1996年にアトランタ五輪のボランティアを経験したから。自国で再び巡ってきた大舞台に、騒ぐ心を抑えられなかった。

 それを知った中村選手から電話がかかってきた。

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 「なんでだよ。俺の引退セレ…

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