沢尻さんに「仕事あげたい」井筒監督あぶれ者への視線

有料記事

真野啓太
[PR]

 あぶれ者たちの映画を撮り続けてきた。井筒和幸監督の8年ぶりの新作「無頼」が公開中だ。主人公は小さなヤクザの一家の組長。これまでヤクザを真正面から撮ったことはなかったというが、自身の原点はヤクザ映画。50年近く前、喝采を浴びる巨匠・深作欣二監督を目の当たりにして、映画監督とはなんたるかを知ったという。

 なぜいま、ヤクザなのか。「パッチギ!」でヒロインを演じた沢尻エリカさんら、芸能界であぶれてしまった人たちへの思いとともに聞いた。

 ――なぜいまヤクザの映画を撮ろうと思ったのでしょうか。

 僕は1952年の生まれだけど、この映画は56年から始まる。昭和の時代を振り返る年代記、戦後昭和史という叙事詩をとりあげたかった。

 ――戦後史を振り返るのに、ヤクザはぴったりだと。

 キーワードになると思った。先輩たちのヤクザ映画を見て育ってきた。血肉ですよ。情けないくらいにね。今まで不良者ばかりを取り上げてきたんだけど、この年になるまでヤクザ映画は手が付けられなかった。まったく取り上げていないわけではないんだけど、コメディーみたいなものしか撮れなかった。

シラケ世代と「仁義なき戦い

 ――特に影響をうけたヤクザ映画は。

 「仁義なき戦い」。あれを見たのは、僕らが焦燥感しかない時代。1973年ですからね。全共闘運動の熱狂が終わってしまった時代、大人たちから「シラケ世代」とレッテルを貼られ、「無気力・無関心・無責任」の三無主義とかって言われてね。

 ――わたしは「さとり世代」と言われた世代です。

 同じやな。「さとり」って言われたら、むかつくでしょ? そんなふうに勘違いすなよって。僕らも悩んでいるんだよ、と。三無主義とか言われたらさ、おれら関心もあるし、感動もするし。冗談じゃないよ、と思った。レッテルを貼られて、反発しましたよ。お前たちが無感動で関心がなくて、お前たちが僕たちを起用しないだけやろ、と。

 思い返してみれば、ちょうどそのときに出会っているんだよね。「仁義なき戦い」とか「ゴッドファーザー」とか。当時高校を出て、働くこともしていなかった無職者の僕は天涯孤独でなかったにせよ、社会を見渡せば寄る辺がなかった。どうやって生きていったら良いのか分からなかった。奈良の実家からときどき大阪に行っては、映画を見て、友達と会って。コンサートの手伝いしたり、ミニコミ紙の発行の手伝いをしたり。金にもならないことを、いっぱいしていた。

深作監督、名前の読み方すら・・・

 ――「仁義なき戦い」を見て、映画監督になろうと思ったのでしょうか。

 シンプルに言うと、そうだね。深作さんの舞台あいさつを見たからね。それが「仁義なき戦い 広島死闘篇」なんだけど。大阪の道頓堀東映で、オールナイトのときに、菅原文太さんはじめ、北大路欣也さんとか、梶芽衣子さんとか。みんな来た。ゴージャスなもんだね。最後に出てきたのが、深作監督だった。

ここから続き

 実はおれたち、深作さんなん…

この記事は有料記事です。残り1850文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【お得なキャンペーン中】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら